史実で読み解く『トンイ』⑮品階の変化でわかるトンイのスピード出世

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変わらぬ人気を持ち続ける傑作ドラマ『トンイ』。主人公トンイ(演者ハン・ヒョジュ)は、史実においては淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)と呼ばれていた。彼女が粛宗(スクチョン)の側室として従四品の淑媛(スグォン)になったのは、1693年のことであった。

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その年には王子を産むという大きな喜びに包まれたが、その命はわずか生後2カ月で消えてしまった。はかない命を見送った悲しみの後、翌1694年に再び懐妊し、新たな王子を出産した。その子こそが後に朝鮮王朝を大きく導く英祖(ヨンジョ)である。

当時の淑嬪・崔氏の品階は正二品の昭儀(ソウィ)だった。側室の品階の頂点は正一品の「嬪(ピン)」であり、昭儀はそこから2段階下の位だ。側室最下位の淑媛から比べると、大変な出世を果たしている。

しかし、それで終わりではない。1695年、前年に王子を産んだ功績により従一品の貴人(クィイン)に昇格した。この時点で、張禧嬪が最高位の嬪の座にあったが、自らの地位が揺らぐことを恐れ、淑嬪・崔氏のことを厳しく警戒するようになった。

張禧嬪はお付きの女官を使って淑嬪・崔氏の一挙手一投足を監視させた、と伝えられている。権力の陰には常に嫉妬と不安が潜んでいたのである。 それでも、運命は再び淑嬪・崔氏を揺さぶった。1698年7月、彼女は王子を出産するも、生まれて間もなくその命は消えてしまった。

『トンイ』
ハン・ヒョジュが演じた主人公トンイ

宮廷を生き抜いた女性の強さ

胸を裂かれるような絶望に沈んだ彼女に、翌1699年、ようやく光が差し込んだ。後に英祖となる王子が延礽君(ヨニングン)として正式に冊封され、淑嬪・崔氏自身もついに側室最高位の「嬪」へと昇り詰めた。

淑嬪・崔氏としては、自分のことより延礽君の身分安泰に最高の喜びを感じた。低い身分という出自を持つ彼女であったが、苦難と悲嘆を乗り越え、息子を立派に育てあげた。その姿は、逆境に立ち向かい、愛と母性を力として宮廷を生き抜いた女性の強さを物語っていた。その経緯を『トンイ』もしっかり描いていた。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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