成三問(ソン・サムムン)は、時代劇『死六臣』でパク・ソンウン、『王女の男』でパク・チョロ、『韓明澮~朝鮮王朝を導いた天才策士~』でペク・ユンシク、『王と妃』でパク・チンソンが演じた人物だ。果たして、彼はどんな人生を歩んだのだろうか。
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朝鮮王朝という血と陰謀に満ちた歴史のなかでも、忘れることができない一幕がある。朝鮮王朝第7代王・世祖(セジョ)の即位だ。
彼は甥である6代王・端宗(タンジョン)から王位を奪った。いや、奪い取ったという言葉でも足りない。まだ幼く、無垢な端宗の玉座を、叔父が力づくで引き剝がしたのである。その光景を思うだけで、胸が苦しくなる。
当時、民は嘆き、学者たちは怒った。正しき道を信じる者たちが、命を懸けて立ち上がる。その中心にいたのが、成三問であった。彼は、かつて4代王・世宗(セジョン)のもとで、ハングル創製に尽力した学問と信念を併せ持つ人物だった。
彼のもとに集った5人の同志もまた、ただの義士ではなかった。それぞれが知恵と胆力を備え、ただの反逆ではなく、正義の復活という1つの希望に賭けていた。
時は1456年。明の使節を迎える宴が王宮で開かれようとしていた。世祖やその取り巻きが一堂に会す絶好の機会、成三問たちはそこで決起しようとした。
だが、歴史とはいつも残酷だ。計画は密告により漏れ、さらに内にいたはずの同志の裏切りまで重なり、全ては水泡に帰した。
捕えられた6人の志士は、地獄のような拷問を受けることになる。焼けた鉄で肉を炙られ、骨にまで痛みが届く。そんな苦しみの中で、成三問は眉ひとつ動かさずに、「まだ鉄が生ぬるい。焼きなおしてこい」と言った。
この言葉の重さが、胸を刺す。これは苦痛に耐える言葉ではない。信念に殉ずる者が発する凛とした魂の咆哮だ。
世祖は彼らの才を惜しみ、「命を助けるかわりに余を王と認めよ」と囁いた。しかし、成三問は一笑もせず、“ナウリ”と呼んだ。
この“ナウリ”とは“旦那さん”くらいの意味で、王を呼ぶにはあまりにも軽すぎる言葉だ。そんな侮辱をしたうえで彼は「あんたなんて、王として絶対に認めない」と言い放った。
その一言が世祖の怒りに火をつけた。6人の志士たちは、四肢を斬られ、首を晒されるという残酷な最期を迎える。
だがそれだけでは終わらない。その怒りは、彼らの家族にまで及ぶ。父も子も殺され、妻と娘は奴婢とされ、一族はこの世から跡形もなく消された。
けれど、時間は残酷であると同時に公正でもある。彼らの高潔な精神は、やがて“死六臣”として称えられ、後世の人々の胸に刻まれた。名を失い、血を絶たれようとも信念は消されなかった。
私は彼らの物語を思うたびに、自らに問う。“正義とは何か”と。命を懸けても守るべきものが本当にあるのだと、彼らはその死をもって教えてくれている。
己の命を賭してでも義を貫いた6人の魂は、今なお、真の正義とは何かを我々に問いかけているのである。
【成三問(ソン・サムムン)の人物データ】
生没年
1418年~1456年
主な登場作品()内は演じている俳優
『死六臣』(パク・ソンウン)
『王女の男』(パク・チョロ)
『韓明澮~朝鮮王朝を導いた天才策士~』(ペク・ユンシク)
『王と妃』(パク・チンソン)
文=大地 康
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