【まさか粛宗が正統派?】朝鮮王朝で国王の長男が王位を継承したのは何人だったか

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朝鮮王朝では518年間に27人の国王がいた。その王位継承は嫡男が引き継ぐことが原則だった。つまり、国王の正室が産んだ長男が第一の候補になったのだ。そういう原則がありながら、27人の国王の中で、国王の長男が次の国王になったケースはどのくらいあっただろうか。

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実は、国王の長男が王位を継いだ例は7つしかなかった。該当するのは5代王・文宗(ムンジョン)、6代王・端宗(タンジョン)、10代王・燕山君(ヨンサングン)、12代王・仁宗(インジョン)、18代王・顕宗(ヒョンジョン)、19代王・粛宗(スクチョン)、20代王・景宗(キョンジョン)である。この7人が国王の長男であった。

その数はかなり少ない。それほど、国王の長男が王位を引き継ぐことは難しかった。実際、朝鮮王朝では王位継承をめぐって様々なトラブルが起こっている。たとえば、兄弟を殺して王位に就くという事件も何度も起こっており、骨肉の争いが絶えなかった。

それでも、13代王・明宗(ミョンジョン)まではすべて国王の正室から生まれている。そういう中で、側室が産んだ王子として初めて国王になったのが14代王・宣祖(ソンジョ)だった。

彼は自分が朝鮮王朝で初めて庶子から生まれた国王であったので、正室から生まれた息子を次の国王にしたかったが、それができなかった。

『トンイ』の粛宗
『トンイ』ではチ・ジニが粛宗を演じた

嫡男継承の原則

そして、朝鮮王朝も後期になると、側室そのものの数が少なくなり、国王の息子が王位を継げないというケースも多くなった。その結果、国王の孫が国王を継ぐ例が増えてくる。それが、22代王・正祖、24代王・憲宗(ホンジョン)である。また、25代王・哲宗(チョルジョン)は、正祖の弟の孫であった。

このように王位継承の原則が守られない中で、間違いなく「王位継承の正統派」と呼べたのが粛宗だ。彼の場合、先代の国王の長男であった18代王・顕宗の長男として生まれている。そういう意味で、「嫡男継承の原則」をしっかり守っていたことになる。それほど彼は由緒正しい国王だったのだ。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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