出生の秘密、記憶喪失、繰り返される三角関係など、『冬のソナタ』の状況設定は現実離れしていたが、ストーリーそのものはとても面白かった。しかも、美しい映像と主役俳優の魅力が視聴者の心をしっかりつかんだ。
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放送していた2002年当時の韓国で主人公のチュンサンとユジンの髪型が大流行となり、ポラリス型のネックレスとパステルカラーの襟巻きが爆発的に売れた。かつてない社会現象を起こすほど『冬のソナタ』は大人気を博したのである。
ユン・ソクホ監督が『冬のソナタ』の序盤を撮影していて困ったのは、交通事故で記憶を失ったチュンサンにどうやって記憶を取り戻させるかということだった。彼は撮影を続けながらそのことに苦心する。だが、結局はチュンサンが二度も交通事故に遭遇する展開となってしまった。
「正直に言ってアイディア不足だった」
そうユン・ソクホ監督は打ち明ける。
「さすがに二度目の交通事故は視聴者から許してもらえないかと心配した。とはいえ、病院で治療を受けて無理に記憶を取り戻すわけにもいかないでしょ」
苦慮の末に時間切れとなり、チュンサンがもう一度交通事故に遭う羽目になった。「作為的」という批判が起きるのを承知で、ユン・ソクホ監督はいかにもドラマ的な展開にこだわったのである。
結局、『冬のソナタ』の人気は放送回数が増える度に高まっていき、気をよくしたKBSは20回で終わるはずの物語を延長したいと考えた。高視聴率番組をできるだけ長く引っ張りたいというわけだ。
しかし、ペ・ヨンジュンとチェ・ジウのスケジュールが詰まっていて延長は難しかった。とはいえ、放送延長が騒動になるほど『冬のソナタ』は様々な話題をふりまいた。それは、韓国だけの話ではなかった。
韓国で放送が終わったあと、アジア各地でも放送が始まり、中国、台湾、香港、ベトナム、タイ、マレーシアなどで絶大な人気を誇った。アジア的な価値観を共有する人たちにとって、『冬のソナタ』はごく自然に感情移入できるドラマだった。
そうしたアジア各国から遅れて日本でも2003年4月から半年にわたってNHK・BSで放送されて、韓国ドラマの大ブームが一気に起こったのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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