時代劇『風と雲と雨』の終盤では、パク・シフが扮するチェ・チョンジュンが最大権力者の興宣大院君(フンソンデウォングン)と激しく争っていく。
【写真】『風と雲と雨』で強烈な存在感を放つ趙大妃のトラウマとは?
その際、チェ・チョンジュンが利用しようとしたのが、王宮の中で起こっていた興宣大院君と趙(チョウ)大妃(テビ)の対立であった。
もともと、2人は利害関係が一致していた。かつて政治を支配していた壮洞・金氏(チャンドン・キムシ)を没落させるために興宣大院君と趙大妃は手を結んでいたのだ。そして、狙いどおりに興宣大院君は息子を高宗(コジョン)として即位させて、壮洞・金氏の勢力を一掃した。こうして興宣大院君と趙大妃は、共同で戦った権力闘争で勝利したのである。
しかし、成功した2人は途端に仲たがいするようになった。
直接のきっかけは、趙大妃が自分の一族である豊壌・趙氏(プンヤン・チョシ)から高宗の妻を選ぼうとしたことだ。それを許すと、豊壌・趙氏が外戚として絶大な力を得ることになる。それで、興宣大院君は大反対して、彼は弱い家門の娘を高宗の妻に迎えた。それが、パク・ジョンヨンが演じていたミン・ジャヨンであり、彼女は王妃となった。
しかし、趙大妃はそれが本当に気に入らなかった。しかも、権力を得た興宣大院君が横暴な政治を行ない、王族最長老の趙大妃は興宣大院君に敵意をむきだしにするようになった。
なんといっても、趙大妃は早世した孝明世子(ヒョミョンセジャ)の妻であり、自尊心がとても高かった。それなのに、興宣大院君が自分をないがしろにするようになって、趙大妃の怒りも爆発した。
興宣大院君の最大の反対勢力になった趙大妃は、王宮における存在感を高めながら、興宣大院君の失脚を執拗に狙い続けた。
それが実現したのは1873年だった。結局、趙大妃は王宮で起こった権力闘争を巧みに利用しながら、最後に興宣大院君との対決に勝利したのである。
そんな趙大妃は以後も影響力を保持して、1890年に亡くなった。享年は81歳だった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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