『100日の郎君様』は史実に基づいておらず、あくまでも架空の登場人物たちが出てくるドラマである。
しかし、すべてが創作だとしても、朝鮮王朝の歴史的な出来事をバックボーンにしていることは間違いない。そうであるならば、『100日の郎君様』の設定は、朝鮮王朝のどの時代に合っているだろうか。
そのことを考えるうえで重要なのは、『100日の郎君様』が描いている3つの題材だ。それを順に見ていこう。
・国王の権力が弱くて政治が不安定だった。
・国王を補佐する立派な世子(セジャ)がいた。
・国王の権力を上回る強い高官がのさばっていた。
以上の3つが『100日の郎君様』の時代背景を象徴していたが、これを歴史的な事実に当てはめると、自然と浮かび上がってくる時代がある。
それは、23代王の純祖(スンジョ)が統治する時代だ。
まず、純祖はあの有名なイ・サン(正祖〔チョンジョ〕)の息子なのだが、統治能力が不足していて強い王権を発揮することができなかった。
その代わり、孝明世子(ヒョミョンセジャ)という息子が頭脳明晰で出来がとてもよかった。結局、純祖は自らの実力不足を補うためにも、孝明世子を政治の代行者に任命したりしていた。
この孝明世子は、『100日の郎君様』でド・ギョンスが演じた世子のイ・ユルとイメージが本当に重なっている。
このような頼もしい息子がいても純祖には大きな悩みがあった。それは、高官たちが力を持ちすぎていたことだ。
特に純元王后(スヌォンワンフ)の父親であった金祖淳(キム・ジョスン)が権力を掌握し、国王を圧倒していた。
しかも、金祖淳は一族で賄賂政治を横行させてしまった。その悪徳ぶりは『100日の郎君様』のキム・チャオンのようであった。
こうして純祖時代の政治状況を見ていくと、『100日の郎君様』と本当に重なる部分が多い。むしろ、『100日の郎君様』のほうが純祖の時代を参考にしたと言っても過言ではないだろう。
もう一度史実を見ると、孝明世子が長生きしていれば高官たちの横暴を防ぐことができたのだが、彼は21歳で急死してしまって、それができなかった。それが、悲しい現実の結末であった。
『100日の郎君様』の世子は、果たして悪徳高官を追放することができるだろうか。8月30日に放送される『100日の郎君様』の最終回ですべてが明らかになる。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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