イ・ヨンエが主演した『宮廷女官チャングムの誓い』(2003~2004年)では、16世紀前半の歴史が描かれている。
ドラマの冒頭は、10代王・燕山君(ヨンサングン)の話から出発する。朝鮮王朝時代に最悪の「暴君」と称された燕山君。この王は、実母が陰謀によって毒薬を飲まされて死亡したと聞いて憤慨し、母を死に追いやった人を残らず殺してしまう。さらに、国王として治世をまったく考えず、放蕩にふけり国を乱していく。
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国政に不安を抱いていた家臣たちによって、さしもの暴君も国王の座を追われてしまう。その後、新しい国王が即位することになるが、その王がまさに『宮廷女官チャングムの誓い』に登場する中宗(チュンジョン)である。
当時の朝鮮王朝では、男性と女性の交流が禁じられることが多かった。女性も、男性の医者から診察を受けることを恥ずかしがる風潮が強く、医女の存在が不可欠だった。そこで、国も女性たちに医術を教えて同性の診察をさせるようにしていた。
しかし、医女の地位は決して高くなかった。医女たちは職業上男性との接触は自由だったが、燕山君の時代に本来の職業から逸脱して医女に宴席の接待役をさせたりしたために、社会的に差別を受けることもあった。
しかし、中宗が即位してからは宴会などで医女に歌舞をさせることを厳しく取り締まった。また、饗宴での同席を禁止したりして、医女が本業に専念できるように配慮した。それでも、燕山君の時代の慣習はなくならず、医女たちは医療と看護に従事しながらも、
一方で享楽的な宴席で歌や踊りを強要されることもあった。
このような歴史の中に実在したのがチャングム(長今)である。「男尊女卑」という儒教的な価値観の中で、『宮廷女官チャングムの誓い』のチャングムは宮中最高の料理人となり、紆余曲折を経て王朝最高の医女となった。数多くの男性医師を退け、国王の主治医にまでなっている。
チャングムは希望の星だった。厳格だった当時の身分制度を打破し、卓越した医術と高度な学識で、専門職の女性として最高の地位に上がった。彼女のすばらしい業績があったからこそ、ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』は普遍性を持った傑作ドラマになったのである。
構成=康 熙奉(カン・ヒボン)
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