【『チャングム』の役立つ歴史知識】医女が宴会の酌婦も兼務していたのはホント?

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テレビ東京の韓流プレミアで放送されている『宮廷女官チャングムの誓い』。8月1日の第32話では、いよいよイ・ヨンエが演じるチャングムが王宮で医女の修業を始めることになった。

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史実を見ると、朝鮮王朝の王宮で医女の制度が始まったのは15世紀の前半であった。朝鮮王朝は男尊女卑の傾向が強い儒教の影響によって、生活上で男女の交わることが好ましく思われなかった。制限があまりに多かったのだ。それゆえ、女性が病気になったとしても、男性の医師から診察を受けることはとても警戒された。

そういう事情があったので、医学的知識を持った女性の医師が必要になってきた。しかし、当時は医女を志願する女性がまったくいなかった。現在なら医師は社会的なエリートと思われているが、当時の朝鮮王朝ではそうではなかったのだ。

庶民の間でも医女になりたいという人は皆無だった。仕方がないので、身分が低い奴婢(ぬひ)の中から賢い女性を選抜して、漢方や鍼灸の知識を学ばせた。こうやって、徐々に医女が増えてきた。とはいえ、医女の地位は極めて低く、患者の診察のほかに宴会の酌婦としても仕事を課されてしまった。

こういう現実を見ても、当時の医女の立場がよくわかってくる。誇り高く人の命を助けるという仕事の一方で、宴席で酔った客の相手をしなければならなかった。そういうことがあってはいけない、という風潮が徐々に高まってきたのは、朝鮮王朝でも16世紀になってからだった。

チャングムの誓い
チャングムがいよいよ医女としてのスタートを切った(写真=SPORTS KOREA)

医女として生き残る道

結局、医女を宴会に出してはならない、ということが決まり、彼女たちは本来の役目である診察に専念することができるようになった。

『宮廷女官チャングムの誓い』の時代背景は16世紀前半であり、ようやく医女が宴会での酌婦から解放された頃の物語となっている。チャングムは済州島(チェジュド)で医術を学び、王宮で実施された医女選抜試験にも合格した。しかし、王宮で医女として生き残る道は険しい。果たして、チャングムはどんな方法で正式な医女としての資格を得ていくのか。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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