傑作時代劇を数多く演出した「時代劇の巨匠」と言えばイ・ビョンフン監督だ。彼の作品で名君として描かれたのが『宮廷女官チャングムの誓い』でイム・ホが演じた11代王・中宗(チュンジョン)、『トンイ』でチ・ジニが扮した19代王・粛宗(スクチョン)、『イ・サン』でイ・ソジンが演じた22代王・正祖(チョンジョ)である。この3人は史実でどのように評価されているのか。
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●中宗〔1488年~1544年〕
10代王・燕山君(ヨンサングン)の異母弟で、晋城大君(チンソンデグン)という名でも知られる。燕山君が廃位になったあとに即位したが、クーデターを主導した重臣たちに頭が上がらず、王政の独自性を発揮できなかった。特に、最愛の妻であった端敬(タンギョン)王后を離縁せざるをえなかったのが黒歴史だ。重臣たちの意見に逆らえなかったからだ。
そのあげく、三番目の妻であった文定(ムンジョン)王后の悪事を見逃し、彼女が女帝として君臨するきっかけを作ってしまった。結局、中宗は人柄こそ良かったが、決断力に欠けて善政を行うことができなかった。
●粛宗〔1661~1720年〕
1674年に即位して、それまで弱かった王権の強化に務めた。実際、強いリーダーシップで政治的な課題を次々に改善していった。特に、商業を活発にして民衆の生活の向上に尽力した。また、国防を強化して国の守りを固めている。
こうした業績を見ると、「名君」と呼ばれても不思議はない。とはいえ、悪女と称される張禧嬪(チャン・ヒビン)のわがままを許し、彼女を王妃まで昇格させたのは汚点だ。それによって、王宮の中を大混乱させている。
●正祖〔1752~1800年〕
まさに、朝鮮王朝の後期を代表する名君だった。たぐいまれな知性と教養を持ち、奎章閣(キュジャンガク)という王室図書館を拠点に様々な政治改革を行って成果をあげた。また、米びつの中で餓死するという非業の死をとげた父(思悼〔サド〕世子)の名誉回復にも力を注いだ。
そんな正祖も、普段は服を着たまま寝ていたと言われた。常に暗殺される危機を抱えていたからだ。このように極端に用心しながら政治を大きく動かし、生活に役立つ実学を盛んにして、さまざまな技術の発達を実現させた。文芸復興にも熱心で、文化の発展に寄与した。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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