今年は「韓流20周年」ということで、かつての韓国ドラマも注目を集めている。その中で今もファンが多い時代劇というと『宮廷女官 チャングムの誓い』である。このドラマは韓国MBCで2003年に放送されていたので制作から20年が経過しているが、決して古びていない。むしろ、イ・ヨンエが演じたチャングム(長今)というヒロインは今も変わらずに輝いている。
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そのチャングムは16世紀に実在した女性であり、『朝鮮王朝実録』にも医女としての彼女の行動が10カ所ほど記録されている。象徴的なのは1515年の記録だ。そこでは、「チャングムの罪は明らかだ。
王妃が服を着替えなくてはならなかったのに、それを止めたのはどうしてなのか」といった記述がある。ここで出てくる王妃は、11代王・中宗(チュンジョン)の二番目の王妃だった章敬(チャンギョン)王后だ。彼女は1515年に中宗の王子を産んでいる。そして、出産時に子供を取り上げたのが、なんと、チャングムだったのである。
しかし、チャングムは「王妃が服を着替えなくてはならなかったのに、それを止めたのはどうしてなのか」と責められている。それは、なぜなのか。
実は、出産直後の王妃は服を着替えるのが習わしだった。しかし、あまりにも難産だったので、王妃は体力が衰弱していた。さらに、着替えをすると身体が冷えるかもしれなかったのだ。そうしたことを案じてチャングムは王妃の服を替えなかったと思われる。
適切な判断なのだが、チャングムが規則に従わなかったのは確かだ。しかも、章敬王后は産後すぐに亡くなってしまった。こうした悲劇があったので、チャングムも処罰を免れなかった。
とはいえ、罷免されてはいなかった。それどころか、29年後の1544年にもチャングムは重体だった中宗の治療にあたっていた。実際、中宗は「余の体調はチャングムがよく知っている」と信頼を寄せるほどだった。
こんなに長きにわたって王宮で王族の治療にあたったチャングムは、間違いなく名医であった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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