ドラマで描かれた「チャングム」の姿はどこまでがホントなのか

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韓国時代劇には傑作が多いが、その中でも、特別な扱いを受けているのが、『宮廷女官 チャングムの誓い』だ。時代劇が好きな人の間でも「歴代ナンバーワン」に評価する人も多く、まさに「時代劇の王様」という評価が揺るぎないものになっている。

そんなドラマの主人公になっているチャングム(長今)。彼女は16世紀の朝鮮王朝で実在した医女だ。

正式な歴史書であった「朝鮮王朝実録」にチャングムの名前が初めて出たのは、1515年3月21日である。

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このとき、11代王の中宗(チュンジョン)の正妻が王子を産んですぐに亡くなってしまった。ところが、チャングムは産後に王妃の衣装を替えなかった。おそらく、衣装を替えると身体が冷えるから、という理由だったと思われるが、結果的に王妃が亡くなっているので、チャングムが行なったことは罰を受けた。

しかし、この一件を乗り越えて、以後のチャングムは王族から誉められてばかりいた。医女としては腕が非常に良かったことの証だ。
結局、チャングムの名は1548年まで「朝鮮王朝実録」に10カ所ほど登場する。その際には、診察がうまくいって褒美ばかり受けている。まさしく、「名医」であったに違いない。

『チャングム』撮影時のイ・ヨンエ(写真=SPORTS KOREA)

大胆なフィクション

しかし、「朝鮮王朝実録」にはチャングムの人物像がまったく記されていない。

そんな謎めいた女性を、「時代劇の巨匠」と称されたイ・ビョンフン監督は、時代劇の主人公として取り上げ、最高の称賛を受けるに至ったのである。

ところで、ドラマの前半でチャングムは料理人になっていたが、これは史実ではない。あくまでも、チャングムはずっと医女だったのだ。しかし、イ・ビョンフン監督は大胆なフィクションを交えて、チャングムを「前半は料理人、後半は医女」という設定にした。

こうして、ドラマは波乱万丈な女性を描く一代記になった。500年近く前に実在したチャングムが、自分をドラマにした『宮廷女官 チャングムの誓い』を見たら、「これが私?」とさぞかし驚いたことだろう。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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