人気時代劇『赤い袖先』でイ・ジュノが演じるイ・サンの信頼する側近になっていたのがホン・ドンノであった。カン・フンが演じているこの人物は、史実では本名が洪国栄(ホン・グギョン)となっていた。
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歴史を見ても、イ・サンは洪国栄を重用した。それによって、洪国栄は政策の実行から軍部の指揮まで様々な重責を担うようになった。
実際、どんな上奏も洪国栄を通さなければならなくなった。必然的に、年上の高官ですら、洪国栄をとても畏怖した。出世を願う官僚たちも洪国栄の前で卑屈にならざるを得なかったのだ。
こうなると洪国栄も傲慢になった。彼は謙虚さを失い、むしろ自分なら何でもできると錯覚してしまった。その末に、妹を元嬪(ウォンビン)としてイ・サンの側室に送り込んだ。しかし、結果は悲劇そのものだった。元嬪はわずか1年ほどで急死してしまったのである。
その際、洪国栄は妹の死を孝懿(ヒョイ)王后のせいと決めつけて、王妃に強い復讐心を持ち、毒殺までたくらむようになった。それが発覚して洪国栄は糾弾された。
イ・サンは洪国栄の手腕に大きな期待を寄せていたのだが、悪事が露見するに至って洪国栄を見限った。とはいえ、死罪にするのは忍びなかった。
確かに、洪国栄は功績の多い側近だった。即位までとても苦労したイ・サンにとって、洪国栄は「盟友」とも呼べる大事な存在だったのである。そのことを考慮して、イ・サンは温情で洪国栄を地方に追放するだけにとどめた。それは1780年2月のことだった。
このように、洪国栄の栄光はイ・サンが即位した後の4年間にすぎなかったのだ。彼が謙虚であったならば、最後まで絶頂期を過ごすことができたであろうに……。
その後の洪国栄は、追放されてから1年ほどで失意のまま病死した。洪国栄の処分に関して温情を示したイ・サンであったが、短い期間に哀しい知らせを受けなければならなかった。優しい国王にとって、本当に辛かったことだろう。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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