人気ドラマ『トンイ』では、パク・ハソンが清楚に仁顕(イニョン)王后を演じていた。一方、イ・ソヨンが張禧嬪(チャン・ヒビン)に扮していたが、何かと仁顕王后に意地悪をしていた。
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史実では、どうだったのか。2人の当初の関係について解説してみよう。
1680年に王宮で奉職することになった張禧嬪はすぐに美貌が大評判となり、その噂を聞きつけた粛宗(スクチョン)が彼女を呼び出して、以後は寵愛するようになった。
それを苦々しく思っていたのが、粛宗の母親だった明聖(ミョンソン)大妃だった。彼女は、張禧嬪の態度を見て、「あの女は主上(チュサン/国王のこと)を惑わすに違いない。すぐに王宮から追い出せ」と命令を出した。
それに反対したのが、仁顕王后だった。彼女は本当に育ちがいい女性で、性格が優しかった。張禧嬪に同情し、姑の明聖大妃に対して「そこまでしなくても、よろしいのではないでしょうか」と言って、張禧嬪を擁護した。本当にお人好しだったのだ。
しかし、結局は張禧嬪も王宮から追い出された。明聖大妃の意見は絶対だったし、息子の粛宗も逆らえなかった。
その明聖大妃は、1683年に亡くなった。すると、粛宗はすぐに張禧嬪を王宮に戻した。
こうして帰ってきた張禧嬪は、以前よりもっと我がままになっていた。鬼のように恐れていた明聖大妃がいないので図に乗ったのだ。
そのあたりの事情を『朝鮮王朝実録』は次のように記している。
「張氏の驕慢さは日々ひどくなっていった。ある日、王が彼女と戯れようとすると、張氏は內殿(王妃)のところに逃げてきて、『どうか私を助けてください』と言った。
これは、內殿の顔色を窺おうとした行動だった。內殿は顔色を整えて『あなたは伝教(王の命令)に奉じるべきなのに、なぜ恐れ多くもこのようなことができるのか』と言った。それ以降、張氏は內殿が命じるすべてのことに対して驕慢な態度を取り、謙遜もしなかった。しかも、內殿がお呼びになられても応じないこともしばしばあった」
このように『朝鮮王朝実録』が記すほど、張禧嬪は仁顕王后にひどい態度を取り続けた。
こうなると、仁顕王后も黙ってはいられない。彼女はずっと張禧嬪をかばっていたのに、さすがに堪忍袋の緒が切れたのである。
激怒した仁顕王后はそばに仕える女官に命じて、張禧嬪のふくらはぎを激しく叩いた。それは、ふくらはぎがミミズ腫れになるほどだった。
この一件で、仁顕王后と張禧嬪の対立が決定的になった。
以後、2人は険悪な間柄となり、粛宗もとりなしができないほどだった。
それにしても、王妃に対して強硬な態度に出た張禧嬪には驚かされる。国王に寵愛されているという自信が、彼女をさらに傲慢(ごうまん)にしていた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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