ハン・ヒョジュがヒロインを演じた『トンイ』では、チ・ジニが19代王・粛宗(スクチョン)を演じていた。このドラマで粛宗は、物分かりがいい国王として描かれていて、かなり印象度が良かった。
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しかし、史実における粛宗をそのような国王であったと見なすと、大きな勘違いをしてしまうかもしれない。ドラマと違って史実の粛宗は、政治家として見ても、冷徹でとても実務型の国王だった。
確かに、仁顕(イニョン)王后を離縁したり(その後に王妃に復帰させた)、悪女と言われた張禧嬪(チャン・ヒビン)のわがままを許したり、トンイこと淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)を側室として異様に寵愛したり……といった女性問題で何かと物議をかもしていたのだが、その一方で粛宗は国王としては政治力に優れていた。
そんな彼が国王の正式な後継者として世子(セジャ)になったのは1667年で6歳のときだった。これは一般的に世子になる年齢としては平均的であり、国王の長男として順調に後継者の道を歩んでいたと言える。
予期せぬ出来事が起こったのは1674年のことだ。父親の顕宗(ヒョンジョン)が33歳で急死してしまったのである。
このとき、粛宗は13歳だった。
これは即位する際に微妙な年齢だった。というのは、未成年の国王が即位したときには、王族女性の最長老が摂政を行なうのが王朝のしきたりだった。
粛宗の母親の明聖(ミョンソン)王后が健在だったので、彼女が粛宗の代わりに摂政を行なって政治を仕切ることも可能だった。その際には、明聖王后がかなり勝ち気で傲慢なタイプだったので、女帝のようにふるまうことも十分に予想された。
しかし、13歳の粛宗は母に摂政をさせなかった。自ら親政を行なって、国王としての政治力を存分に発揮したのである。それができたのも、世子のときから帝王学をしっかり学んで、次代の即位に備えて準備を怠らなかったからだ。
そして、国王になった粛宗は巧みな行政手腕を発揮した。ドラマ『トンイ』での描き方と違って、大変したたかな国王であったのだ。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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