以前の韓国テレビ界は19世紀の朝鮮王朝を舞台にしたドラマをあまり作らなかった。政治の腐敗によって王朝が衰退していく「暗い歴史」が、視聴者から歓迎されなかったからだ。
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しかし、状況が変わった。今まで描いてこなかった分だけ新鮮さもあり、今では積極的に19世紀を描いた時代劇が増えてきた。そういう傾向の中で『雲が描いた月明り』『風と雲と雨』『哲仁王后』といった人気ドラマが続々と生まれている。
こうした時代劇を楽しむなら、19世紀の朝鮮王朝のことをより知っておいたほうがいい。そこで、全体像について説明していこう。
イ・サンこと正祖(チョンジョ)が1800年に亡くなり、10歳の純祖(スンジョ)が即位した。彼は幼かったので、英祖(ヨンジョ)の二番目の正室だった貞純(チョンスン)王后が摂政を行なった。
その彼女が1805年に亡くなった後に政治を仕切るようになったのが、純祖の正室・純元(スヌォン)王后の出身一族であった安東(アンドン)・金(キム)氏だ。
彼らの悪政によって社会が混乱した。しかし、純祖は政治を正すことができなかった。
1834年、純祖が世を去り、早世した孝明(ヒョミョン)世子(純祖の長男)の息子だった憲宗(ホンジョン)が即位した。わずか7歳だったので、純元王后が摂政を行なったが、安東・金氏の悪政はさらにひどくなった。
その後、1849年に憲宗が急死してしまい、純元王后は自分たちの政権を守るために無学の青年王族を即位させた。こうして24代の哲宗(チョルチョン)が王位に就いた。けれど、哲宗はまともな政治を行なう能力に欠け、失意の中で1863年に世を去った。
王位を継いだのが高宗(コジョン)であった。彼は11歳であったので、父親の興宣大院君(フンソンデウォングン)が政治を担い、攘夷政策を実行した。そのあたりは『風と雲と雨』に描かれたとおりだが、攘夷政策によって諸外国の強い干渉を受けるようになり、国力は著しく衰退していった。
このように朝鮮王朝の政治が推移していったのだが、今後も19世紀の朝鮮王朝を描いた時代劇が増えるものと予想される。それにしたがって、この時代の歴史にも関心が集まってくるだろう。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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