ドラマ『宮廷女官 チャングムの誓い』において、イ・ヨンエが演じたチャングム(長今)の人生は、前半が料理を担当する女官で、後半が王族を診察する医女だった。
しかし、史実を見ると、チャングムはあくまでも医女だけであり、料理人だった経歴はない。「時代劇の巨匠」と称されるイ・ビョンフン監督が演出した『宮廷女官 チャングムの誓い』は、ドラマの前半が完全なフィクションなのである。
この根拠となる史実というのは『朝鮮王朝実録』のことであり、医女としてのチャングムの行動が10カ所ほど記録されている。
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その中で1515年の記録を見ると、「チャングムの罪は明らかだ。王妃が服を着替えなくてはならなかったのに、それを止めたのはどうしてなのか」といった内容が書かれている。
ここで言う王妃というのは、11代王・中宗(チュンジョン)の二番目の王妃だった章敬(チャンギョン)王后である。
彼女は1515年に中宗にとって待望の初めての息子を産んでいる。その出産時に子供を取り上げたのがチャングムなのである。彼女はそれほど重責を担う医女であった。
当時、出産直後の王妃は服を着替えるのが習わしだった。しかし、チャングムはそれをさせなかった。なぜなのか。
おそらく、難産で体力が衰弱していた王妃の身体を気遣ったからであろう。着替えをすると身体が冷える恐れがある。そのために、チャングムは適切な判断をしたはずだった。しかし、しきたりに従わなかったことは確かだ。
しかも、章敬王后は産後の肥立ちが悪くて、すぐに亡くなってしまった。
朝鮮王朝では、王族が命を落とすと主治医が処罰された。必然的にチャングムも処罰を免れなかった。さらに、「着替えをさせなかった」という罪も重なったのだ。
医女を罷免させられて監獄に入れられても不思議ではなかった。
しかし、チャングムは以後も医女を続け、1544年に中宗が亡くなる時も側で仕えていた。
このように、チャングムは章敬王后が亡くなったときの罪も不問に付されていた。よほど医術に優れていたからに違いない。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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