朝鮮王朝の王家にとって、一番大事なことは、早く国王の後継ぎを決めることだった。そのために、世子(セジャ)を10歳くらいで結婚させると、肉体的に成熟したら側室を持たせて、子供をたくさん作らせた。
特に、朝鮮王朝の前半にはそういう傾向が強く、国王になると側室を10人ほど抱えて子供を増やした。そういう関係で、2代王・定宗(チョンジョン)は23人、3代王・太宗(テジョン)は29人、4代王・世宗(セジョン)は22人、というように子だくさんの国王が誕生した。
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とはいえ、国王の正式な後継者となる世子が確定すると、他の王子には出番がなくなった。万が一、世子が早世したら代わりの世子をすぐに決めなければならないが、そうでなければ、他の王子は「御役御免」なのである。
こうなると、世子以外の王子は目立ってはいけなかった。王子として政治に介入すると後継者争いで骨肉の争いが起きかねないので、むしろ政治以外で活路を見い出すことが王子の必須と言われていた。
そういうこともあって、世子からはずれた王子には芸術が推奨された。風流の世界で真価を発揮してくれ、というわけだ。
しかし、現実はうまくいかなかった。風流の世界で一流の実績を残した人はあまりいなかった。それより、酒と女に溺れていく世俗的な王子が多かった。極端に甘やかされて育っただけに、それも仕方がなかった。
しかし、王子の中には天才的な芸術家として高い評価を受けた王子がいた。それが、世宗の三男だった安平大君だ。
彼は幼いときから才能が抜群で、大人顔負けの能力を発揮した。そして、成人してからは、詩、書、画の三部門で優れた作品を作り、「三絶」と言われた。これは、「三つの芸術で絶対的に優れている」という意味である。
ここまで称賛された王子は、彼の他にいなかった。
特に安平大君の書風は、朝鮮王朝前期に大流行するほどで、みんながこぞって安平大君の書を真似て筆を動かしたのである。
これほどの天才であったが、その人生はあまりにはかなかった。
彼は兄の首陽大君(スヤンデグン/後の世祖〔セジョ〕)に憎まれて死罪になってしまった。
そんな彼であったが、ドラマ『不滅の恋人』でユン・シユンが颯爽と演じていた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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