傑作時代劇の『朱蒙』では、ソン・イルグクが朱蒙(チュモン/紀元前58年~紀元前19年)に扮して大人気を博した。高句麗(コグリョ)の初代王と言われているが、どんな人物だったのか。
そもそも、朱蒙の出生は神秘に包まれている。というのは、高句麗(コグリョ)の神話で朱蒙は柳花(ユファ)という女性が産んだ卵から生まれたことになっている。本当に不思議な存在なのだ。
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とはいえ、古代には英雄が卵から生まれたという伝説がよくあったので、偉大な人物として箔をつけるために「卵から誕生」という神話が作られたと思われる。
さらに、朱蒙が住んでいた東扶余(トンプヨ)では、弓の名人を「朱蒙」と言っていた。彼も弓がうまかったので、「朱蒙」と呼ばれるようになったようだ。
歴史書『三国史書』は朱蒙のことを次のように説明している。
「小さな国の王に3人の娘がいたが息子はいなかった。王は朱蒙を見て只者ではないことを見抜き、二番目の娘と結婚させた。この婚姻を足掛かりにして、朱蒙は王位を継いだ」
こうして小さな国の王になった朱蒙は、領土の拡張を狙い、沸流国の松譲王(ソンヤンワン)に直談判に行った。
「私は天帝の子である。あなたは私に従いなさい」
松譲王は不機嫌になって言った。
「この土地に2人の王はいらない。君が私に従ったらどうか」
すると、朱蒙は怒り、「勝負して決めよう」と迫った。
2人は弓の実力で競ったが、松譲王が勝てるわけがなかった。
結局、松譲王が投降してきて、朱蒙は松譲王を配下にした。
さらに、朱蒙は次々と周辺国を手中におさめ、国を大きくした。そして、高句麗の初代王となった。
彼は紀元前19年に39歳で世を去った。
以後、古代で最強の男と讃えられるようになった。
ただし、朝鮮半島の歴史が明確に事実とされるのは3世紀以降のことだ。それ以前に活躍していた朱蒙に関しては、やはり神話の部分が多いと思われる。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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