仲が悪い『100日の郎君様』のイ・ユルと世子嬪。史実でも険悪の夫婦は?

このエントリーをはてなブックマークに追加

『100日の郎君様』で、ド・ギョンスが朝鮮王朝の世子(セジャ)のイ・ユルを演じている。そして、世子嬪(セジャビン)はハン・ソヒがキム・ソヘに扮している。

この夫婦は政略結婚で結ばれたので仲が悪い。というか、イ・ユルはキム・ソヘをまったく相手にしないのだ。こうなってしまっては、2人の間で子供を授かるというのは不可能な話だ。

『100日の郎君様』ではハン・ソヒが世子嬪を演じている(写真=tvN『100日の郎君様』韓国ポスター)

これほどまでに気持ちが通わない世子と世子嬪。史実を見ればそういう夫婦もいたのだろうか。

典型的な例になっているのが、あの思悼世子(サドセジャ)の夫婦だ。妻は恵慶宮(ヘギョングン)と言われた。

この夫婦は最初はとても仲がよかった。しかし、思悼世子の言動が問題で徐々に夫婦仲が壊れていった。

思悼世子は頭脳明晰だったのだが素行がよくなかった。

まずは、酒癖が悪くて家臣によく暴力をふるった。しかも、いかがわしい者たちを王宮に呼んで宴席を開いたりした。さらには、王宮の外に出て何度もトラブルを起こしている。

そうした思悼世子の言動に対して恵慶宮が腹を立て、夫婦仲は完全に冷え切ってしまった。

思悼世子の乱行は父親の英祖(ヨンジョ)の耳に入り、英祖は息子を何度も叱りつけた。しかし、思悼世子が素行を改めなかったので、英祖は最後に思悼世子を米びつに閉じ込めて餓死させてしまった。まさに朝鮮王朝のおぞましい悲劇だったと言える。

思悼世子が世を去った後、恵慶宮は息子のイ・サンに期待した。

彼は立派に成長し、1776年に22代王の正祖(チョンジョ)となった。つまり、恵慶宮は王妃ではなかったが、王の母にはなったのである。

恵慶宮は晩年、多くの文章を残している。それを読むと夫の乱行の数々を細かく記していた。

本来なら、夫の名誉のために隠してもいいようなものだが、恵慶宮は思悼世子の酒乱や暴行を何度も書いていた。かなりの怨みが残っていた証だろう。

【関連記事】プリンスの妻・世子嬪…『100日の郎君様』でも暗示している悲しい運命とは?

このように、朝鮮王朝の世子夫婦の中で仲が悪かった典型例が思悼世子と恵慶宮だ。

一方、『100日の郎君様』の世子と世子嬪にはそもそも愛がなかった。やはり悲しい関係だったのだ。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)
 

前へ

1 / 1

次へ

関連記事


RANKINGアクセスランキング

写真


注目記事