テレビ東京で平日朝に放送中の『トンイ』では、8月3日が第12話だった。この中で仁顕(イニョン)王后が張禧嬪(チャン・ヒビン)に厳しく接する場面があった。
それは立場を考えれば当然のことなのだが、朝鮮王朝の正史である「朝鮮王朝実録」の記述を見ると、意外と仁顕王后が最初は張禧嬪のことを擁護していることがわかる。
そうした記述を基に、張禧嬪をかばった事実を見てみよう。
1680年に王宮に入った張禧嬪をすぐに見初めたのが19代王の粛宗(スクチョン)だった。
しかし、粛宗の母であった明聖(ミョンソン)大妃は、張禧嬪が気に入らなかった。
彼女は王の母という強権を使って張禧嬪を王宮から追い出した。粛宗も、逆らうことができなかった。
意外にも、助け船を出したのが仁顕王后だった。
仁顕王后は、あまりに人が良すぎたとも言える。正妻でありながら、王が寵愛する女性が宮中を追われたことに同情を示したのだ。
「殿下に気に入られている女官が長く宮中にいないのはいかがなものでしょうか。再び呼んであげるのがふさわしいのでは……」
仁顕王后がそう進言すると、明聖大妃は露骨に嫌な顔をした。
「あの女をまだ見たことがないからそう言うのでしょう。あの女は毒々しくて悪だくみをしそうですよ。主上(チュサン/王のこと)が最近感情の起伏が激しくなってきたけれど、もしあの女にそそのかされているのならば、国家にとってもわざわいです。内殿(ネジョン/王妃のこと)も私の言うことをよく考えてみてください」
ここまで言われても、仁顕王后はまだ張禧嬪を弁護した。
「まだ起こってもいないことを今から心配しなくてもよろしいのでは……」
この言葉に明聖大妃は驚いた。しかし、彼女は決定を覆さなかった。
いくら仁顕王后が反対しても、明聖大妃は張禧嬪を宮中に呼び戻すことにずっと反対したのだった。
以上が「朝鮮王朝実録」が記している事実だ。
その後の話をすると、明聖大妃が亡くなったあとに張禧嬪が王宮に帰ってくることになるのだが‥‥。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
前へ
次へ