ド・ギョンスが主演している『100日の郎君様』は、毎週日曜日の夜にNHKの総合テレビで放送されている。ドラマは後半に入ってますます面白くなってきた。
この『100日の郎君様』の物語が描かれている舞台は主に2つにわかれている。
ひとつは、ウォンドゥク(ド・ギョンス)とホンシム(ナム・ジヒョン)が夫婦として暮らす村だ。そこは庶民が暮らすありふれた田舎なのである。
もうひとつは王宮だ。そこでは数々の陰謀が起こっており、ド・ギョンスが演じる世子(セジャ)も暗殺団によって追われてしまった。
このように、『100日の郎君様』はふたつの場所が描かれているが、特に都というのはどんな風に形成されていたのか。
まず、朝鮮王朝の都は漢陽(ハニャン)と呼ばれていた。今のソウルである。
基本的に、当時の都市は城郭都市なので町は城で囲われていた。つまり外から都に入ろうとするときは、かならず門を通って入らなければならなかった。
漢陽の場合は大きな門として東大門(トンデムン)、南大門(ナンデムン)、西大門(ソデムン)、北大門(プクデムン)があった。要するに、都に住むということは、4つの大きな門の中に居住しているということなのだ。
今のソウルから見れば、漢陽の面積は比べ物にならないほど狭く、住んでいる人たちも限られていた。その中心部に王宮があったわけである。
その王宮は景福宮(キョンボックン)と呼ばれ、国王を始めとした王族が住み、重要な官庁がそろっていた。
しかし、史実で見れば景福宮は1592年の朝鮮出兵のときに焼失してしまい、以後は1865年まで再建されなかった。
その間は、昌徳宮(チャンドックン)などが王宮の代わりを務めた。
なお、『100日の郎君様』は架空の物語なので、時代が設定されていない。仮に朝鮮王朝の前期の物語であったならば王宮は景福宮であったし、後期の物語ならば昌徳宮などが王宮として描かれていただろう。
いずれにしても、王宮があるということで漢陽は都として最高の存在感を示していた。
『100日の郎君様』では、ウォンドゥクやホンシムも都に行って賑わう雰囲気を楽しんでいた。当時の人にとっても、都は特別にまぶしい場所だったのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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