『100日の郎君様』では、ド・ギョンスが演じる世子(セジャ)のイ・ユルが主人公になっている。彼は政略結婚で不本意な形で妻と夫婦になっている。
その相手の世子嬪(セジャビン)は、ハン・ソヒが演じているキム・ソヘだ。
キム・ソヘは普通なら次代の王妃になれるわけだが、物語の展開からすれば、すんなりとそうならないことは誰でもわかる。
結果的に、キム・ソヘも「王妃になれなかった悲しい世子嬪」になりそうだが、朝鮮王朝にはそういう世子嬪が何人もいた。その中で特に有名な2人を紹介しよう。
まずは、昭顕(ソヒョン)世子の妻であった姜氏(カンシ)である。
昭顕世子は16代王・仁祖(インジョ)の長男だった。1637年に朝鮮王朝が屈服して人質として清に連行された。
8年後、ようやく人質から解放されて帰国したが、外国にかぶれたことを理由に仁祖から疎(うと)まれ、わずか2か月後に急死してしまった。父の仁祖に毒殺された疑いがとても強い。
夫が亡くなった後の姜氏も悲惨だった。なにしろ、息子の王位継承権まで奪われたのだ。
さらに、姜氏は仁祖を毒殺しようとしたという冤罪(えんざい)を押し付けられ、弁明する機会もなく死罪となった。
しかも、3人の息子も済州島に流罪となり、上の2人は疑惑が残る死に方をした。このように、仁祖はそこまでして姜氏の一族を抹殺しようとした。世子嬪で彼女ほど地獄を見た人は他にいない。
次に取り上げるのは、思悼(サド)世子の妻の恵慶宮(ヘギョングン)である。
よく知られているように、思悼世子は21代王・英祖(ヨンジョ)の息子だが、素行の乱れが英祖の逆鱗(げきりん)に触れて自決を命じられた。
従わないでいると、米びつに閉じ込められて、8日目に餓死した状態で発見された。
夫である思悼世子が餓死するときに何もできなかった恵慶宮。罪人の妻として実家に戻された彼女は、世子嬪なのに王妃になれなかった。
しかし、息子の正祖(チョンジョ)が1776年に22代王になったので、王妃の代わりに大妃(テビ)になることはできた。
こうした史実とは反対に、『100日の郎君様』でキム・ソヘの運命はどうなってしまうのか。その結末がとても気になる。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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