テレビ東京の韓流プレミアで始まった韓ドラ時代劇の名作にしてロングヒットの『トンイ』。
描かれている時代は、朝鮮王朝第19代王・粛宗(スクジョン)の時代。賤民の娘トンイは、両班殺しの罪で殺された父と兄の無実を晴らすために、素性を隠して宮廷の奴婢となり、数々の難題を解決していく。
だが、当時の宮廷内は西人派と南人派が対立していた。王・粛宗は対立する党派の間で、ときに冷酷な判断も下す。トンイはそんな党派争いの中に巻き込まれていくのだが……。
という内容であることは多くのファンの間でも知られていると思うが、トンイのモデルである淑嬪崔氏(スンピン・チェシ)は何かと謎が多い。
作中のトンイは、宮中に入ると音楽や舞踊を担当する掌楽院の下女になっているが、史実にその記録は残っておらず、側室になる前の淑嬪崔氏が宮中で何をしていたのかは明らかになっていないのだ。
しかし、有力な説はある。
それは“針房(チム バン)”という裁縫を担当する部署にいたというもので、1970年まで存命した三祝堂金氏(サムチュクダンキムシ)がそれを明かした。
三祝堂金氏は26代王・高宗(コジョン)の側室だったのだが、淑嬪崔氏は生前、「針房の下女時代に大変だったのは指し縫い(キルティング)すること」と英祖に語っており、それを覚えていた英祖は生涯、刺し子の服を着なかったという。
いずれにせよ、淑嬪崔氏は1693年に23歳で側室となり、“淑媛(スグォン)”という品階を与えられた。
側室の品階は、正一品(チョンイルプム)から従四品(チョンサプム)までの8段階。淑媛は従四品で、側室としてはもっとも低い品階だ。
淑嬪崔氏は1693年10月に粛宗の息子を産む。その子は2カ月で急逝するが、翌年9月に英祖を産み、品階も“淑儀(スグィ)”、“貴人(クィイン)”と昇格し、1699年には“嬪(ビン)”となったことは記録されているので、それだけは間違いないだろう。
構成=韓ドラ時代劇.com編集部
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