Netflixで大人気の『暴君のシェフ』は、燕山君(ヨンサングン)をモチーフにしている国王イ・ホン(演者イ・チェミン)が主人公になっている。ドラマの中でよく登場するのが“士禍(サファ)”の話題だった。
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この“士禍”というのは、朝鮮王朝の歴史では士林派(儒教の教義に精通した官僚)を弾圧した出来事のことだ。燕山君の統治時代には、戊午士禍(ムオサファ) と甲子士禍(カプチャサファ)が起こっている。具体的に解説しよう。
燕山君は、儒教的な教養を誇る士林派のことが嫌いだった。その隙を突いた奸臣は、「王の実務を記録する者たちが7代王・世祖(セジョ)大王を侮辱する文を書いています」と密告した。
その言葉を真に受けた燕山君は、無実の人々から官職を剥奪し、冷酷に斬首の刑に処した。その血なまぐさい処断は、宮中に凍りつくような恐怖を呼び込んだ。それが、1498年に起こった戊午士禍である。
王宮が乱れる中、さらなる不幸が訪れた。出世欲に駆られた者が、宮中最大の禁忌(燕山君の母がかつて死罪になったいきさつ)を暴露した。それまで燕山君は母の死罪の真実を知らされていなかった。衝撃の事実を知った彼は、怒りと悲しみに打ちひしがれ、一晩中涙を流し続けたという。
翌朝、涙をぬぐった燕山君が最初にしたことは、母を復位させることだった。それは父の成宗(ソンジョン)の判断を覆す暴挙でもあった。
宮中で反対の声が相次いだが、燕山君は耳を貸さなかった。それどころか、母の死に関わった者、ただ傍観した者、復位に異を唱えた者までもことごとく処刑した。死者も例外ではなく、墓を暴いて遺骸の首を斬るという狂気の沙汰にまで至った。それが甲子士禍である。
『暴君のシェフ』のストーリーの中で、すでに戊午士禍に似た事件は起こっていたが、終盤に起こりそうだったのが甲子士禍だった。
しかし、イ・ホンはヨン・ジヨン(演者イム・ユナ)の説得によって乱心を起こさなかった。そこがこのドラマのキーポイントになっていた。
文=大地 康
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