人気を集める『暴君のシェフ』において、物語の鍵を握るインジュ大王大妃(演者ソ・イスク)は歴史的に仁粋(インス)大妃をモデルにしている。そこで、この仁粋大妃の人生を振り返ってみよう。
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彼女の若き日々は苦難に満ちていた。7代王・世祖(セジョ)の長男と結婚したが、夫は世子でありながら19歳の若さで早世してしまった。本来であれば王妃となるはずだった彼女は、2人の幼い子を抱えて未亡人となり、身の上の不安定さを深く嘆いた。
さらに運命は無情であった。世祖の後を継いだ二男が8代王となったものの、彼もまた19歳で早世した。
あまりにも早い死は王位継承に混乱をもたらしたが、最終的には仁粋大妃の二男が9代王・成宗(ソンジョン)として即位することになった。これにより彼女は王の母を意味する「大妃」という尊称を得るに至った。
仁粋大妃は、成宗の正室・恭恵(コンヘ)王后をとても慈しんだ。だが、成宗は恭恵王后を遠ざけ、尹氏(ユンシ)という側室のもとに足しげく通った。
寂しさに心を蝕まれた恭恵王后は精神を病み、わずか18歳で命を落とすという痛ましい悲劇が訪れた。この出来事は仁粋大妃の心に深い影を落とし、彼女は尹氏への憎しみを募らせるようになった。
もともと仁粋大妃は尹氏の家柄の低さや過剰な野心を嫌っていたが、恭恵王后の死を契機に、彼女を徹底的に攻撃するようになった。一方の尹氏にも問題があった。
嫉妬深かった彼女は、成宗の他の側室に敵意を抱き、部屋に砒素を持ち込んだ。これを偶然見つけた成宗は、尹氏が毒殺を企てたのではないかと強く疑った。
この事件を境に成宗は尹氏を遠ざけ、孤独感に沈んだ尹氏は精神が錯乱していった。そして久しぶりに成宗が訪れたとき、激しい感情のまま国王の顔を何度も引っ掻いてしまったのである。
国王に対する重大な不敬罪は見過ごされることがなく、仁粋大妃の強い意向もあって尹氏は廃妃(ペビ)とされた。朝鮮王朝で初めて廃妃となった王妃が、この尹氏である。その年は1479年であった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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