『暴君のシェフ』に登場するチェサン大君(演者チェ・グィファ)の姿を見て思い浮かぶ歴史上の人物として、晋城大君(チンソンデグン)の名が挙げられる。外見が重なるわけではないが、彼が纏う静かな空気や、控えめで目立たぬ立ち居振る舞いが、どこか似通っているからである。
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晋城大君は1488年、成宗と貞顕王后の間に生まれた。父は民から慕われた名君であり、母も知性と美貌を備えた王妃であった。恵まれた環境にありながら、彼自身は早くから「自分は王になれない」と悟り、権力への欲望を持たずに過ごした。
幼少期の彼はのびやかで穏やかな日々を送ったが、その影には燕山君という異母兄の存在があった。暴君として知られる兄から幾度も辛辣な仕打ちを受け、心に深い傷を残したのである。
1506年、燕山君の暴政に耐えかねた家臣たちが決起し、王宮に激震が走った。暴君を追放した後、新しい王を立てねばならなくなった彼らの視線は、意外にも晋城大君へと向けられた。
しかし彼は固く首を横に振った。「自分はその器ではない」と何度も拒んだのである。それでも流れは止められなかった。
周囲の強い後押しに押し切られる形で、晋城大君は朝鮮王朝第11代王・中宗(チュンジョン)として即位することになった。こうして望まぬ王冠を戴いた青年は、思いがけない運命に巻き込まれていった。
中宗の最初の正妃は端敬王后(タンギョンワンフ)である。彼女は聡明で温かな心を持ち、中宗も心底から愛していた。だが、その血筋が災いを招いた。
父は10代王・燕山君(ヨンサングン)に仕えた人物で、叔母は燕山君の王妃であったため、重臣たちは「王妃の家柄は危うい」と声を上げた。
中宗は必死に抗い、「彼女だけは手放せない」と強く訴えたが、権力の論理は冷酷であった。ついに端敬王后は廃位され、庶民へと落とされてしまった。中宗にとってそれは大きな心の傷であり、後悔の念を終生抱えることとなった。
しかし、彼の心から端敬王后への愛情が消えることはなかった。宮殿の高所に立ち、彼女が暮らす方角を見つめながらため息をつく姿は、人々の間で噂となり、やがて彼女の耳にも届いた。
端敬王后は「無事に暮らしている」と夫に伝えるため、裏山の岩の上に赤いチマを広げて合図したという。
遠くにその赤布を見つけた中宗は胸を震わせ、安堵の涙を流したと伝えられている。この切ない逸話は「赤いチマ岩の伝説」として、後世にまで語り継がれている。
中宗の生涯は、王位を望まずに即位した宿命の重さと、1人の夫としての真摯な愛情が交錯する歩みであった。
権力に翻弄されながらも、愛する人を想い続けた彼の姿は、冷たい宮廷に潜む孤独を映し出しつつ、人間味あふれる輝きを放っている。そこにこそ、中宗という人物の真実があったのである。
文=大地 康
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