『暴君のシェフ』イ・ホン=燕山君の父が抱えた光と影、歴史に残る事実

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ドラマ『暴君のシェフ』に登場する国王イ・ホン(演者イ・チェミン)は、父の死によって若くして王位に就いた人物として描かれている。その背景には、実際の朝鮮王朝第10代王・燕山君(ヨンサングン)の姿が重ねられている。では、その父である第9代王・成宗(ソンジョン)とはどのような人物だったのか。

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成宗は1469年、わずか12歳で王となった。幼さを残していたが、統治者としては優れた手腕を発揮し、法や制度を整え、学問を広め、文化を発展させた。その功績は朝鮮王朝史に輝かしい記録として残されている。

一方で、私生活では女性関係の問題から大きな混乱を生み、後世にまで語られる事件を起こした。

即位当初、成宗は先代の功臣の娘を王妃に迎えたが、彼女は若くして亡くなった。その後、新たに王妃となったのが尹氏(ユンシ)である。尹氏は美しい女性で、やがて男子を出産した。この子こそが後に“暴君”と呼ばれる燕山君であった。

しかし、尹氏は強い嫉妬心を持ち、王の側室たちに厳しい嫌がらせを繰り返した。宮廷内での評判は次第に悪化し、やがて王の母・仁粋大妃(インステビ)の耳にまで届いた。

母が息子である成宗に尹氏の行動を訴えると、成宗も彼女を遠ざけるようになった。寵愛を失った尹氏は孤立し、不安と焦りに追い詰められていった。ついに尹氏は禁じられた行為に及ぶ。呪いの文や毒薬を手に入れ、王の寵愛を受ける女性を害そうとしたのである。

『暴君のシェフ』
『暴君のシェフ』でイ・チェミンが演じているイ・ホン(写真=韓国tvN)

未来に悲劇をもたらす原因

この行為が発覚すると、尹氏の地位は失われ、宮中での立場を完全に失った。さらに精神の乱れの中で成宗の顔を傷つけるという大罪を犯し、最終的に廃妃(ペビ)とされ、1482年に処刑された。

この出来事は単なる王妃の嫉妬では説明できない。成宗自身が彼女を持ち上げては冷遇するという矛盾した態度を取ったために、尹氏はますます孤立し、心を病んでいったとも考えられる。

王宮という閉ざされた世界で居場所を失った尹氏は、最後には破滅への道を進まざるを得なかったのである。

成宗は有能な王として歴史に名を残したが、家庭の混乱は息子である燕山君の人生に暗い影を落とした。

母を失った燕山君の心には深い傷が刻まれ、それがやがて彼を暴君へと変えていく要因の1つとなった。つまり、成宗の治世は輝かしい功績に満ちていた一方で、宮廷内の不和が未来に悲劇をもたらす原因ともなったのである。

文=大地 康

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