『べらぼう』で描かれた徳川将軍!子供の数を朝鮮国王と比較してみる

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NHK総合テレビで日曜日に放送中の『べらぼう』。この大河ドラマは、18世紀後半に江戸の出版業で財を成した蔦屋重三郎(演者は横浜流星)が主人公になっている。彼の動向がメインで描かれるが、同時に、江戸幕府の動きも詳細に扱っている。

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特に、ドラマの中盤には10代将軍の徳川家治(演者は眞島秀和)と政治の主導権を取った田沼意次(演者は渡辺謙)がよく登場していた。しかし、物語も後半になると、徳川家治が亡くなり、田沼意次も失脚して世を去った。

ここからは史実の話に入っていく。

1787年4月、11代将軍の座に徳川家斉が就いた。年齢はまだ15歳という若さであった。彼はそれから50年間も将軍であり続けた。この長期的な統治は、歴代15人の将軍の中で断然のトップだった。

徳川家斉の序盤の統治を支えたのが松平定信だ。彼は8代将軍・徳川吉宗の孫にあたる。将軍候補にもなれる家柄の出身だったが、17歳のときに白河藩主・松平定邦の養子に出された。

朝鮮王朝で国王を象徴する玉座
朝鮮王朝で国王を象徴する玉座に座ったのは合計で27人だった

徳川家斉の突出ぶりが目立つ

家督を継いだ松平定信は藩政改革を成功させ、実績を買われて1787年6月に30歳で老中首座に就任した。 彼は田沼意次派の幕府閣僚たちを更迭し、「寛政の改革」と呼ばれた政策を実施した。

こうした松平定信に政治をまかせて徳川家斉は奔放に暮らした。驚かされるのは、徳川家斉の子供の数である。1人の正室と16人の側室との間に生まれたのが28男27女だった。合計で55人。とてつもない数である。

朝鮮王朝の国王の場合はどうだっただろうか。27人いた国王の中で、子供が多かった人を取り上げてみよう。

1位は3代王・太宗(テジョン)の29人。正室1人から8人、側室から21人の子供が生まれている。2位は9代王・成宗(ソンジョン)の28人。正室から3人、側室から25人が誕生している。3位は14代王・宣祖(ソンジョ)の25人。正室から2人、側室から23人の子供が生まれている。

以上のように、子供の数が30人を超えた国王はいなかった。それだけに、徳川家斉の突出ぶりが目立っている。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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