【韓ドラになった歴史人】『太祖王建』の主人公の王建は高麗の礎を築いた国王だった

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高麗の初代王・王建(ワン・ゴン)は、朝鮮半島の歴史において混乱の時代を力強く切りひらいた人物の1人で、時代劇『太祖王建』でチェ・スジョン、『輝くか、狂うか』でナム・ギョンウプ、『麗〈レイ〉~花萌ゆる8人の皇子たち~』でチョ・ミンギが演じていた。

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彼は877年に現在の北朝鮮にある開城(ケソン)で生まれた。自然豊かな土地で育った王建は、幼いころから武芸に優れ、書物をよく読み、知識と体力をバランスよく養っていったという。

まだ10歳にも満たないころ、飛ぶ鳥を弓で射落とすほどの腕前を見せ、周囲を驚かせた。このエピソードは、すでに若き王に非凡な才が宿っていたことを物語っている。

青年期に入った王建は、当時の有力な反乱軍指導者・弓裔(クンイェ)の配下となる。当時の朝鮮半島では、統一新羅が衰退し、各地で勢力が乱立していた。

弓裔は後高句麗(フゴグリョ)を建て、後に摩震(マジン)、泰封(テボン)へと国号を変えていったが、その軍の中で王建はめざましい活躍を見せた。戦場では勇猛果敢に戦い、確かな実力と信頼を積み重ねていった。しかし、弓裔は次第に独裁色を強めて暴君と化していく。王妃を手にかけ、政を乱し、家臣や民衆の心も次第に離れていった。

『太祖王建』の王建
『太祖王建』でチェ・スジョンが王建を演じていた(写真=韓国KBS)

国を導く徳を備えた統治者

この状況に耐えかねた王建は、同志たちとともにクーデターを起こし、ついに弓裔を失脚させる。逃亡した弓裔は、農民の手によって命を落とすという、悲惨な最期を迎えた。その後、王建は諸将の支持を受け、918年に高麗(コリョ)を建国し、初代国王に即位する。

高麗という国号には、かつて大陸にまたがる広大な領土を誇った古代国家である高句麗への敬意が込められていた。彼は開城を都と定め、理想の国家づくりを始める。

当時の朝鮮半島は、衰退した新羅(シルラ)、百済(ペクチェ)の後継を名乗る後百済(フベクチェ)、そして王建率いる高麗の三勢力が対立する後三国時代にあった。

王建は新羅と同盟を結び、後百済への攻勢を強める。そして935年、新羅は自主的に高麗へ帰順し、王建はそれを温かく受け入れた。翌936年、内紛に揺れる後百済を制圧し、朝鮮半島を統一。王建は名実ともに新たな時代の創始者となった。

943年に66歳でその生涯を終える直前に、王建は“訓要十条”と呼ばれる遺言を残す。その中には、政治の基本、仏教の尊重、民の安寧への配慮といった後の王たちへの貴重な教えが記されている。とりわけ仏教の重要性を強調し、以後の高麗王朝では仏教が国家の精神的支柱として深く根づいていくことになる。

王建は単なる征服者ではなかった。武力だけでなく、人の道を知り、国を導く徳を備えた統治者だった。

乱れた時代に秩序をもたらし、文化と信仰に支えられた国家の礎を築いた王建の姿は、今もなお、理想のリーダー像として語り継がれている。

【王建(ワン・ゴン)の人物データ】

生没年
877年~943年

主な登場作品()内は演じている俳優
『太祖王建』(チェ・スジョン)
『輝くか、狂うか』(ナム・ギョンウプ)
『麗〈レイ〉~花萌ゆる8人の皇子たち~』(チョ・ミンギ)

文=大地 康

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