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なぜ『朱蒙 チュモン』は日本で愛され続けるのか。語り継がれる8つのエピソード④

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韓国時代劇ドラマの金字塔として知られる『朱蒙(チュモン)』は、日本でも長年にわたり高い人気を誇ってきた。地上波やBSでの度重なる放送を通じて幅広い世代に浸透し、今なお語り継がれる名作である。

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本企画では、日本での反響やファンを惹きつけた背景を踏まえつつ、『朱蒙』にまつわる8つの印象的なエピソードを、前後編の2回に分けて紹介する。作品の魅力を改めて掘り下げたい。

7.解慕漱(ヘモス)と朱蒙の出会いは史実ではない!?

解慕漱は古朝鮮(コジョソン)の滅亡後、流民を助ける英雄としての姿がドラマでは描かれている。しかし、漢の圧力に屈する扶余の先代の王に裏切られ、さらには漢軍につかまり両目をつぶされてしまう。

そんな過酷な戦いを強いられるなか、解慕漱と息子である朱蒙との出会いが描かれるが、史実に2人が出会うという話はない。『三国史記』なかで解慕漱は天帝の子で、柳花の夫であり朱蒙の父とされているが、2人の側を離れてどこかへ行ったとだけ記されている。

(写真= All Rights Reserved by MBC 2006/7)

なんとも不思議な人物ではあるが、それをドラマのなかでは想像力をふくらませてた朱蒙との出会いを演出することで、よりリアルな親子関係を描き出している。

8.史実として残されているホントウの朱蒙

紀元前37年に高句麗を建国して初代王となった朱蒙。国の繁栄をまっさきに考えていた朱蒙にとって、まずは領土拡大が必要不可欠だった。王となった以上、国を滅亡させてならないのが朱蒙がやらねばならない大仕事だったわけだが、まずやるべきことは、兵力の強化と防衛だった。

戦乱の時代においても常に冷静さを保ちつつ、周辺諸国の征服に乗り出しては、次々と領土を拡大していった朱蒙。沸流国の松譲(ソンヤン)王が降伏したあと、卒本城を完成させたほか、太白山(白頭山)東南の荇人(ヘンイン)国も征服。紀元前28年には北沃沮(プゴッチョ)を滅亡させている。当時の朱蒙はとにかく領土拡大のために東奔西走しているが、40歳という若さでこの世を去っている。

キャプション

戦国時代を生き抜き、領土拡大に力を注いだ初代高句麗は、今後の国の発展のための礎を築いた時代だったといえる。

文=韓ドラLIFE編集部

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