【まだ間に合う!】『太宗 イ・バンウォン』の物語はどこまで面白いか

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テレビ東京の韓流プレミアで放送中の『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』は、5月3日の第21話でチュ・サンウクが演じる李芳遠(イ・バンウォン)が世子に冊封され、王位が目前となった。これからは3代王としての人生が描かれていく。

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ドラマは全33話なので、すでに前半が終わっている。ドラマが大きな節目を迎え、これから見始める人も多いと思うので、前半のダイジェストをお届けしよう。

1388年、高麗王朝の大将軍であった李成桂(イ・ソンゲ)は、国王から、領土争いがあった明への攻撃を命令された。彼は大軍を率いて出陣したが、朝鮮半島北部の鴨緑江(アムノッカン)の中流に位置する威化島(ウィファド)で前に進めなくなった。李成桂は引き返すことにして、攻撃目標を首都の開京(ケギョン)に変えた。有名な「威化島回軍」だ。

李成桂は開京を制圧して高麗王朝最高の実権を握った。彼が信頼した腹心が、鄭道伝(チョン・ドジョン)と鄭夢周(チョン・モンジュ)である。鄭道伝は李成桂が新しい王朝を作ることに賛成したが、鄭夢周は反対だった。

1392年、鄭夢周は李成桂の五男・芳遠が送って来た刺客によって殺害された。ついに34代王・恭譲王(コンヤンワン)が廃位となり、新たに朝鮮王朝が建国されて李成桂が初代王となった。

太宗 イ・バンウォン~龍の国~
(写真提供=Monster Union)

歴史ドラマの真髄

李成桂は、第二夫人の康氏(カンシ)が産んだ八男の芳碩(バンソク)を世子に指名した。これに激怒したのが高麗王朝を滅ぼす際に貢献した芳遠だった。

康氏が1396年に亡くなると、芳遠はクーデターを画策した。1398年に彼は鄭道伝を殺し、さらに、芳碩も殺害した。激怒した李成桂は二男の芳果(バングァ)を世子に指名。李成桂と芳遠の対立が深刻になる中で、今度は李成桂が退位して、芳果が2代王となった。

さらに、李成桂の四男・芳幹(バンガン)が王位に野心を見せて挙兵した。これを打ち破った芳遠に対し、もう誰も逆らえなくなった。こうして芳遠が政治の主導権を握った。その際には、芳遠の妻である閔氏(ミンシ)が大きな働きをしたのだが……。

以上が第21話までのダイジェストだ。いよいよ佳境を迎える『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』。大いに歴史ドラマの真髄を楽しもう。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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