2004年に中国が、高句麗(コグリョ)の歴史を中国の地方史と決めつけたことで韓国から反発が起き、それが結局は高句麗を舞台にした時代劇が立て続けに放送される契機となった。
こうして、2006年から2007年にかけて『朱蒙(チュモン)』『大祚栄(テジョヨン)』『淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)』が放送されて、古代史を生かした時代劇のブームが続いた。その中で、満を持して制作されたのが『太王四神記』だ。
主演は、日本で韓流ブームを巻き起こした「ヨン様」ことぺ・ヨンジュンであった。そして、演出したのが、不朽の名作『砂時計』のキム・ジョンハク監督だった。
放送前から注目を集めていて、済州島(チェジュド)に造られたセット場を私(康熙奉)はよく取材したのだが、古代の巨大な宮殿を再現したセット場のスケールの大きさにびっくりしたものだった。
このドラマでペ・ヨンジュンが扮したのは高句麗19代王の広開土大王(クァンゲトデワン)である。朝鮮半島の有史以来、最大の版図を築いた伝説の大王をペ・ヨンジュンが演じるというので期待がとても高かった。
しかし、構想が大きすぎて制作は困難をきわめた。撮影スケジュールも大幅に遅れてしまい、そうした混乱の中でペ・ヨンジュンもケガをしてしまった。その負傷のニュースはNHKの夜のメインニュースでも大々的に報じられ、日本でも『太王四神記』に関心が集まっていることをうかがわせた。
その当時、高句麗の先祖を祀っていることで知られる埼玉県の高麗神社に行くと、ペ・ヨンジュンがケガから早く回復することを祈願するファンの書いた絵馬が、神社にたくさん飾られていた。もはや、『太王四神記』は本国の韓国だけでなく日本の韓流ファンも注目する大作であった。
そうしたファンの願いが通じて、『太王四神記』は2007年にMBCで放送されて、30%を越える視聴率をあげて大ヒットした。
この2007年が時代劇ブームの一つの頂点であったかもしれない。それを牽引したのは、間違いなく『太王四神記』で堂々たる主役を演じたペ・ヨンジュンであった。
その彼が、今に至るまで『太王四神記』が最後の主演作になるとは、当時は夢にも思わなかった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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