ヨン様主演『太王神四記』のモデル・高句麗19代王・広開土大王とは?

2020年05月19日 歴史 #歴史人物
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『太王四神記』でペ・ヨンジュンが演じた心優しき王・タムドクは、高句麗(コグリョ)第19代王として実在した広開土大王(クァンゲトデワン)がモデルになっている。

ドラマでは、ファンタジー面を強調するため、高句麗の建国神話である「壇君(タングン)神話」が導入され、桓雄(ファヌン)の血を継ぐという設定で人物描写されたが、史実では高句麗の第18代王・故国壌王(コグクヤンワン)の息子となっている。

生年は374年。18歳になった391年には王位を継承しており、「好太王(ホテワン)」「永楽大王(ヨンラクテワン)」などの別名もある。

広開土大王は、高句麗の領土を一気に押し広げた。18歳の時、百済(ペクチェ)に進攻してわずか3日で10の城を制圧。395年には沸流(ピリュ)国を征服した。

さらに410年には燕国の城50か所を陥落させるとともに、東扶余(トンプヨ)も支配下に置いたとされている。全盛期で南は漢河(ハンガン)、北は松花江(しょうかこう)、西は遼河(りょうが)、東は沿海州一帯の地域まで国土を広げている。まさに高句麗が誇った“戦争の神”だったのだ。

韓国・九里市にある広開土大王の銅像(写真=LEE WANBOK)

ただ、中国は当時、五胡十六国(ごこじゅうろっこくじだい)時代で、数々の勢力が乱立していたため、広開土大王は覇権が定まらない大陸の隙を狙って国土を広げたという中国識者の見解もある。

広開土大王の名に恥じない名君として君臨

このように、広開土大王の領土拡大の功績に関しては、中韓の高句麗学者の間で常に論争が絶えない。『太王四神記』は、中国で「歴史を捏造している」とされ、放送禁止が叫ばれたこともある。いずれにせよ、広開土大王の存在は、高句麗の歴史を紐解く上で、重要な位置を占めているのだ。

広開土大王は戦争だけではなく、国づくりにおいても優れていたとされる。周辺国との修交につとめながら、392年には現在の平壌に9つの寺を建立し仏教を広め、民に精神的な平穏を得るように奨励した。

中国・吉林省の集安には「国は富強し、民が平安に暮らし、五穀が豊かであった」と、広開土大王の治世時の功績を称える言葉が刻まれた記念碑がある。

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