テレビ東京で放送中の『トンイ』では第17話の冒頭で、張禧嬪 (チャン・ヒビン/演者イ・ソヨン)が側室に昇格するシーンがあった。側室になると王族として遇されるので、それまでの女官とは待遇がまるで違う。それだけに、張禧嬪の喜びも凄まじいものがあった。
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実際、側室になると、どんな品階を受けられるのだろうか。基本的には、働く女官の最高位が正五位の尚宮(サングン)であるが、その上位がすべて側室に与えられる品階となっている。張禧嬪は側室になったばかりなので、必然的に従四位の淑媛(スグォン)が与えられる。
それ以降は、国王に寵愛されている状況に応じて、昭媛(ソウォン)、淑容(スギョン)、昭容(ソヨン)、淑儀(スギ)、昭儀(ソウィ)、貴人(キイン)へと昇格していき、最高位が正一位の嬪(ピン)である。わかりやすく言えば、王子を産むと正一品に昇格することが多かったのだ。
史実で調べてみると、張禧嬪が「淑媛」という品階を授与されて側室になったのは、1686年12月だった。粛宗(スクチョン)が張禧嬪に初めて会ったのは1680年ごろと言われているので、彼女が正式な側室になるまで6年近くかかっている。
これは異例だったと言わざるをえない。というのは、張禧嬪はもっと早く側室になっても不思議ではなかったのに、意外とそうではなかった。時間がかかったのは、派閥の状況が関係していたと思われる。
当時の政局は西人(ソイン)派と南人(ナミン)派が争っていた。そして、1680年以降は西人派が強くて、劣勢だった南人派に支持されていた張禧嬪は簡単に側室になれなかった。
しかし、1685年以降は南人派が巻き返してきて、張禧嬪も希望が持てるようになってきた。そのうえで、1686年に正式に張禧嬪は側室に昇格したのである。
その後の張禧嬪は一気に駆け抜けた。特に、1688年に王子を産んで立場が盤石になったのだ。正一位の嬪になったのも当然であり、彼女は大いに「我が世の春」を謳歌した。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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