【韓ドラになった歴史人】『七日の王妃』の中宗の王座に翻弄された国王だった

2025年02月06日 歴史 #大地 康 #写真
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朝鮮王朝第11代王・中宗(チュンジョン)といえば、『宮廷女官チャングムの誓い』ではイム・ホ、『女人天下』と『師任堂、色の日記』ではチェ・ジョンファン、『七日の王妃』ではヨン・ウジンが演じていた人物だ。その中宗が歩んだ人生を振り返ってみよう。

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朝鮮王朝27人の王の中で、最悪の暴君と評される10代王・燕山君(ヨンサングン)は、政務を顧みず、酒と女に溺れて国庫を浪費した。その暴政は庶民の生活を圧迫し、ついに臣下たちによるクーデターを招いた。

1506年、反乱軍は燕山君を討ち、異母弟である晋城大君(チンソンデグン)を王に擁立しようとした。これは「中宗反正(チュンジョンパンジョン)」と呼ばれる政変である。しかし、当の晋城大君は何も知らされておらず、突然の事態に大きな衝撃を受けることになる。

反乱軍が晋城大君の屋敷を包囲すると、彼は兄が自分を殺しに来たのだと思い込み、絶望して自害しようとした。彼の命を救ったのは妻である端敬(タンギョン)王后だった。

彼女は冷静に事態を見極め、夫に思いとどまるよう説得した。やがて反乱軍は屋敷に入り、晋城大君に王位を継ぐよう説得を始めるが、彼は頑なに拒んだ。

『七日の王妃』ではヨン・ウジンが中宗を演じた(Licensed by KBS Media Ltd. © 2017 KBS. All rights reserved
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重臣たちに担ぎ上げられた王

一方、反乱軍の主力部隊は燕山君の宮殿を襲撃。普通なら王を守るべく兵士たちは戦うはずだが、燕山君の兵は皆、戦わずして逃げ出した。これまでの暴虐無道な振る舞いにより、命をかけて彼を守ろうとする者はいなかったのだ。

王宮はあっという間に制圧され、燕山君は王位を剥奪されて地方に追放された。しかし、反乱軍には問題が残っていた。晋城大君がなおも即位を拒み続けていたのである。

反乱を主導した重臣たちは晋城大君を必死に説得し続けた。拒絶し続ける彼に対し、やがて圧力が強まり、「もはや断れない」と観念した晋城大君は、ついに11代王・中宗として即位することを決意した。

中宗は即位後、燕山君の乱れた政治を立て直そうとしたが、重臣たちに担ぎ上げられた王であったため、彼らに強く意見することができなかった。

その中で問題となったのが、最愛の妻・端敬王后の存在である。彼女の父は燕山君に仕えた人物だったため、重臣たちは彼女を排除すべきだと主張し、中宗に離縁を迫った。

妻との別れを強要された中宗は、これに激しく抵抗した。しかし、重臣たちは聞き入れず、しまいには「離縁しなければ端敬王后を処刑する」と脅迫するほどだった。愛する妻の命を守るため、中宗は苦渋の決断を下し、離縁を受け入れることになった。

中宗はその後、新たな正室を迎えたが、端敬王后への思いを断ち切ることはできなかった。彼女を想うあまり、王宮で最も高い場所に登り、彼女の家の方角を見つめるようになった。

その姿は噂となり、端敬王后の耳にも届いた。彼女は中宗が自分をすぐに見つけられるよう、愛用していたチマ(スカート)を岩にかけるようになった。これが「チマ岩の伝説」であり、2人の悲恋の象徴として今も語り継がれている。

【中宗の人物データ】

生没年
1488年~1544年

主な登場作品()内は演じている俳優
『王と妃』(チェ・ウヒョク)
『女人天下』(チェ・ジョンファン)
『宮廷女官チャングムの誓い』(イム・ホ)
『師任堂、色の日記』(チェ・ジョンファン)
『七日の王妃』(ヨン・ウジン)

文=大地 康

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