人気時代劇『宮廷女官チャングムの誓い』を見ていると、ヒロインのチャングム(イ・ヨンエ)が王宮で女官として奉職しているので、ドラマは必然的に女官たちの生活ぶりを克明に描いている。果たして王宮にはどれくらいの女官がいたのだろうか。
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チャングムが実在していた16世紀前半の中宗(チュンジョン)統治時代には、およそ1000人の女官が奉職していたと推定されている。朝鮮王朝518年間の中で、この時期に最も女官が多かったようだ。
時代が下って18世紀後半のイ・サン統治時代には、女官が700人前後であったと言われている。さらに100年ほど過ぎた19世紀後半には女官の数も500人ほどだった。女官の数が多いと経費もどんどん膨らんでいくわけであり、財政が緊迫する中では必然的に女官の数を減らさなければならなかった。
通常、女官は5歳から10歳くらいに王宮に入って見習いとして精進し、18歳前後で一人前になる。その後さらに経験を積んでいくと、働く女官の最高職である尚宮(サングン)まで登り詰めることができる。とは言っても、まだ平均寿命が短い時代であったから、本人が望んでも長く女官として勤めることは難しかった。誰もが老いていくのだ。
『宮廷女官チャングムの誓い』の例で言うと、最高(チェゴ)尚宮は膝が悪くて身体が徐々に不自由になり、引退を余儀なくされていった。
このように、ある程度地位が高かった女官は、老いた後も王朝によって面倒を見てもらうケースが多かったのだが、地位が高くない女官は老いて身体が不自由になってくると、王宮を出されてしまった。こうなると生活は大変だった。
すでに自分の家族が離散しているケースもあるし、市中で生活基盤を持たない女官が新しく老後を安定させるのは難しかった。さらに、病になった場合は悲惨な生活が待っていた。現在のように年金が支給される時代でもなかったのだ。
女官は元気で働けるうちは身分が安定するのだが、老いて身体が不自由になると、さしたる保証もなく、生きていくのが本当に大変だった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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