【役立つ歴史解説】『太宗 イ・バンウォン』の国王の名前はどのように決められたのか

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大河ドラマ『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』の主人公となっているのは、チュ・サンウクが演じている李芳遠(イ・バンウォン)だ。これが彼の本名であり、朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)の五男である。

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李芳遠が1400年に3代王として即位すると、臣下たちは「主上(チュサン)」と呼ぶ。あるいは、「殿下(チョナ)」という敬称を使うことも多かった。もちろん、臣下が本名で国王を呼ぶことはない。そんなことをしたら、不敬罪で処罰されてしまうだろう。

しかし、国王が亡くなると、「諡(おくりな)」が贈られる。それが、死後の尊称になるのだ。

「諡」に関して言うと、李成桂の場合は朝鮮王朝を建国しているので「王朝の創始者」を意味する「太祖(テジョ)になっている。

そして、1422年に世を去った李芳遠は「太宗(テジョン)」と称された。これも由緒ある「諡」であり、「太」という漢字はそれほど重みがあるのだ。

なお、初代王を除くと、朝鮮王朝の国王の諡には「宗(チョン)」が付けられていた。ハングルを創製して「最高の名君」と称賛された4代王も「世宗(セジョン)」となっている。

太宗 イ・バンウォン~龍の国~
(写真提供=Monster Union)

死後の尊称になる「諡」

ところが、7代王の世祖(セジョ)の場合に事情が変わった。彼は甥の端宗(タンジョン)から王座を奪った非道な国王なのだが、即位の際に功績のあった人々に莫大な褒美を分け与えた。

その恩に報いるために、7代王の死後に臣下たちが、本来ならば「宗」を付けなければならないのに「祖(チョ)」を付けてしまった。それが前例となり、その後も「祖」を「諡」に付けることが多くなった。

結果的に、国王の「諡」は「祖」が付く人と「宗」が付く人とに分かれた。ただし、「君」が付いている国王も2人いる。10代王の燕山君(ヨンサングン)と15代王の光海君(クァンヘグン)だ。

この2人はクーデターによって廃位にされたので、死後も「諡」が贈られなかった。それゆえ、歴史的に王子時代の名前で呼ばれようになったのだ。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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