【トンイの真実】粛宗の側室となる背景に黒幕がいたのはホントウか

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現在、韓流プレミアで放送中の時代劇『トンイ』。このドラマの主人公であるトンイこと淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)は、粛宗の側室となるのだが、彼女の裏には黒幕がいるのではないかと言われている。果たして、それは本当のことなのだろうか。

1694年3月に大事件が起きる。

淑嬪・崔氏を支持する西人(ソイン)派の官僚たちが告発書を朝廷に提出したのである。そこに何が書かれているかというと、張禧嬪の兄である張希載(チャン・ヒジェ)が淑嬪・崔氏を毒殺しようとしたということだ。

『トンイ』で淑嬪・崔氏を演じたハン・ヒョジュ

王宮内は大騒ぎになる。やがて粛宗は「張希載を処罰せよ」と命令を出した。その際、西人派の中は「張希載を処刑せよ」という強硬な意見と「流罪にするだけでいい」という穏健な意見に分かれた。

つまり、西人派の中でも賛否両論があったのだ。このとき、「張希載を処刑せよ」と強硬に言った人たちが後に老論(ノロン)派となる。その一方で、「処刑までは必要ない」と主張した一派が少論(ソロン)派となった。

結局、張希載は済州島に流罪になった。この機に乗じて、粛宗は1689年に廃妃にした仁顕(イニョン)王后を王妃に戻すという決定をした。それと同時に、王妃の座から張禧嬪を降格させるということを発表する。

これは、大きな政変を引き起した。

最終的に西人派が勝って南人派が負けたのである。

淑嬪・崔氏の陰で動いていた人物

粛宗は王権の強化に成功した王だった。

彼は派閥をうまく拮抗させながら、あまりにも一方が強くなると一気に蹴落とすという調整をした。

そうやって、派閥が必要以上に大きくなるのを防いだのである。その点で、粛宗は大変頭のいい王だった。

仁顕王后の復位が決定し、張禧嬪の降格と張希載の流罪が実行されたが、その際に淑嬪・崔氏はどうしていたのだろうか。

つまり、元をただせば、張希載が淑嬪・崔氏を毒殺しようとしたという告発が政変のきっかけだった。

実は、淑嬪・崔氏の陰で動いていた人物がいる。

名を金春沢(キム・チュンテク)と言う。彼は、ドラマ『トンイ』の中ではシム・ウンテクという名で出ていた。

【参考】トンイの味方となるシム・ウンテクは実在した? そのモデルは…

金春沢は、粛宗の最初の正室だった仁敬(インギョン)王后の父親・金万基(キム・マンギ)の孫である。

つまり、名門の出身なのだ。

しかも、西人派の重鎮の家柄だった。

金春沢は大変頭が良かったようで、いろんな形で計略を練れる男だった。そんな彼が、裏では淑嬪・崔氏と男女関係にあったのではないかと言われている。しかも、金春沢が淑嬪・崔氏を粛宗のもとに送り込んだ張本人だという説もある。

大いにありうる話だ。

彼が、張希載の毒殺事件というものをでっち上げ、自分の息のかかった下級官僚に告発書を出させて、それを既成事実のようにして南人派を追い落としたのかもしれない。もちろん、「朝鮮王朝実録」にそういうことは書いてないが、客観的な事実を見ていくと、そういう推理も成り立つ。

今後のドラマの放送の中で、トンイとシム・ウンテクがどのように関わってくるのか。そして、この話は本当なのだろうか。ドラマを見ながら2人の関係に注目してみると、さらに面白く見れるかもしれない。

構成=大地 康

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