『100日の郎君様』の豆知識。史実でも弟や孫が王になっている!!

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EXOのD.O.(ディオ)として人気を集めているド・ギョンスが、俳優として『100日の郎君様』で魅力的な演技力を披露している。

彼はもともと世子(セジャ)のイ・ユルに扮していた。しかし、陰謀によって記憶喪失になり、村の青年に姿を変える。それがウォンドゥクだ。

ウォンドゥクはホンシム(ナム・ジヒョンが演じている)と結婚するが、ドラマの終盤では、いずれは王宮に戻って世子として復活することになりそうだ。

しかし、その前に、王宮では政変が起こり、イ・ユルの弟が世子になる展開になった。

このように世子の立場は微妙になるのだが、「国王の後継ぎ」と呼ばれる世子の役割を改めて見ていこう。

(写真=tvN『100日の郎君様』ポスター)

世子は王朝のナンバー2である。それだけに権限も巨大で、自分の官僚と軍隊をたくさん持つことができた。

そして、国王が病気のときは世子が代理で政治を仕切った。国王と同様に世子には誰も逆らえないのだ。

やがて国王が亡くなったら、すぐに世子が即位して新しい国王になる。そうやって、朝鮮王朝の歴史は受け継がれていったのである。

このように世子は後継ぎの代名詞になっているのだが、世子だけではなく、「世弟(セジェ)」や「世孫(セソン)」という後継ぎもいた。国王の息子ではなく、弟や孫だったので、そのように呼ばれたのだ。

朝鮮王朝で世弟といえば、一番有名なのは英祖(ヨンジョ)である。

彼は20代王の景宗(キョンジョン)の弟で、兄に息子がいなかったので、弟ながら後継者に指名された。ただし、英祖は自分が国王になりたかったので兄を毒殺したという噂が広まった。

真相は定かでないが、英祖が主治医の反対も聞かずに病弱の景宗に自ら漢方薬を処方したという事実があった。それが毒殺説の根拠になったのだが、英祖は国王の座に執着していたのでありえない話ではなかった。

その英祖は、世子だった思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めて餓死させたので、イ・サンを代わって後継者に指名した。イ・サンは孫だったので、彼は世孫と呼ばれた。

このように、世子だけが後継者になったわけではなく、世弟や世孫も「次の国王」として大いにスタンバイしていたのである。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)
 

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