3回に分けて紹介してきた『太陽を抱く月』の重要なキーワードも今回が最後である。今回紹介するのは、康寧殿(カンニョンジョン)、士林(サリム)と勲旧(フング)、そしてドラマの主人公フォンの父親である成祖(ソンジョ)だ。せひ注目してほしい。
キーワード5 景福宮に実在した王の寝殿、康寧殿
『太陽を抱く月』では、王の住まう居城として康寧殿が登場する。この康寧殿は朝鮮王朝時代に存在した建築物である。
康寧殿があったのは、朝鮮王朝5大古宮の1つである景福宮(キョンボックン)。1392年に高麗王朝を滅ぼして、朝鮮王朝を建国した初代王・李成桂(イ・ソンゲ)が建設させた最初の正宮だ。
朝鮮王朝の王宮には王の寝室や、王が政務を行なう場所、王妃の寝室など、使用目的に応じていくつかの建物で構成されている。
康寧殿はその中で、王の寝室とした作られた建造物。『太陽を抱く月』と同じ役割を持っていた。
景福宮は長く朝鮮王朝の正宮として使われていたが、1592年に豊臣秀吉が朝鮮出兵を行なった際に焼失。
後に、26代王・高宗(コジョン)が再建し、再び正宮として利用されるまで、長い空白期間があった。
景福宮を主な正宮として利用したのは、初代王・太祖から14代王・宣祖の時代までである。このことは、『太陽を抱く月』の時代設定を特定する大事なキーワードである。
頭を悩ませた派閥争い
キーワード6 激しく対立した2大派閥、士林と勲旧
朝鮮王朝の歴代27人の王は、誰もが臣下たちの派閥争いに頭を悩ませていた。それは、架空の朝鮮王朝を舞台にした『太陽を抱く月』でも変わらない。
作品内で大きな派閥として対立しているのが、ヨヌの父たちが所属する士林派(サリムパ)と、大妃イン氏が筆頭になった勲旧派(フングパ)である。
史実を見てみると、士林派というは熱心な儒学者たちのことで、9代王・成宗(ソンジョン)が特に重用したことで知られている。
一方の勲旧派は、1453年に起きた7代王・世祖(セジョ)による王位簒奪事件「癸酉靖難(ケユジョンナン)」の際の功労者たちのことで、当然ながら世祖の治世では絶大な力を握っていた。
士林派と勲旧派。2つの勢力がもっとも対立したのが、成宗から10代王・燕山君の時代である。
キーワード7 実在した「成」と「祖」の王…成祖
『太陽を抱く月』で王として君臨するフォンの父・成祖(ソンジョ)。しかし、当然ながら、成祖という名の王はいない。しかし、朝鮮王朝の名前には一定のルールがあるので、それに置き換えて考えてみよう。
まず、朝鮮王朝の王に付けられる名前は、死後に送られた尊号であり、大きな功績をあげた王には「祖」、そのほかの王には「宗」が与えられた。
「君」がついた王は、王権を剥奪された王であるため、王子時代の名前がそのまま与えられている。
ちなみに「祖」がつく王は、初代・太祖、7代・世祖、14代・宣祖、16代・仁祖、21代・英祖、22代・正祖、23代・純祖の計7人。
また、27人の王の中で名前の1文字目に「成」の文字が入るのは、9代王・成宗ただ1人である。
このことからも、原作者のチョン・ウングォルが成宗を意識したのではないかと推測できる。
前編から続いた『太陽を抱く月』の重要な7つのキーワードも今回ですべて紹介した。ドラマですでに登場したのもあれば、これから登場するのもあるだろう。ぜひドラマの隅々までチェックしてほしい。
構成=大地 康
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