前編に引き続き『太陽を抱く月』を見るうえで重要な7つのキーワードを紹介しよう。今回紹介するのは、昭格署(ソギョクソ)と活人署(ファリンソ)である。この2つはどんな部署なのか見ていこう。
キーワード3 星祭壇を設けて祭祀を行う部署、昭格署
「禳災祈福」という言葉がある。これは神に祈りを捧げることで、災難を遠ざけて福を招くという意味だ。昭格署は「禳災祈福」を挙行するために設置された機関である。
高麗時代の発足当初は昭格殿と呼ばれていたが、後に規模を縮小して昭格署に名前を改めた。朝鮮王朝時代では3代王・太宗(テジョン)が、積極的に運営させたことで知られる。
後に中宗が即位したときに、昭格署の廃止をめぐって王室と儒学者たちが激しく対立した。中でも、中宗の腹心として知られる儒学者・趙光祖(チョ・グァンジョ)は、徹底して廃止を訴え続けた。根負けした中宗は、1519年に昭格署を廃止する。
しかし、その翌年に趙光祖が謀反の疑いをかけられて処罰されると、中宗は病床にいた母の回復を祈るために昭格署を復活させて、祈祷を続けるように命じた。
儒教を国教とする朝鮮王朝において、神に祈りを奉げる昭格署を維持するのは困難であり、14代王・宣祖(ソンジョ)の時代、完全に廃止となった。
昭格署は『太陽を抱く月』に登場するだけに、この物語が朝鮮王朝の前期を舞台にしたのではと推察できるキーワードとなっている。
キーワード4 庶民を救済するための医療機関、活人署
高麗時代には庶民を救済するために「大悲院(トンソテビウォン)」という医療機関が設置されていた。そこでは貧しい人々を集めて、食事を与えて病気の治療を施す庶民のための救済機関であった。
また、伝染病が蔓延した場合は、患者を集めて隔離したり、死者が出ればその埋葬まで執り行なった。
朝鮮王朝時代になっても大悲院はその役割を引き継ぐが、3代王・太宗の時代に「活人院」と名前を変えて、王宮にある東西の門に設置。さらに1466年、7代王・世祖(セジョ)が東西の活人院は機能を統合して活人署と改称した。
しかし1709年、19代王・粛宗(スクチョン)によって活人署の機能は大幅に縮小され、その息子である21代王・英祖(ヨンジョ)の時代になると、もう1つの医療機関「恵民署(へミンソ)」と統合することでその姿を消した。
活人署には複数の巫女も送られて、病に対しての祈祷を行なった。『太陽を抱く月』でもヨヌが活人署に送られるが、王室のために祈りを捧げる星宿庁に比べ、活人署の巫女は底辺の存在であり、ヨヌがどんな立場に置かれていたのかが推察できる。
この続きは3回目の後編で紹介しよう。今回紹介したことを踏まえて、ドラマをさらに注目して見てほしい。
構成=大地 康
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