朝鮮王朝時代は儒教が国の理念として徹底され、男女の恋愛には厳しい規制が設けられていた。社会的な法律や価値観が、自由な恋愛を許さなかったのだ。
例えば、道をすれ違った男女の目が合ったとする。
知り合いでもないかぎり、そこで軽く声をかけるような行為は、はしたない行為とされた。逆に、視線を外し目が合わないようにすることが美徳とされたのだった。
また、男女が直接会話をすることも恥ずべき行為だった。同じ場所やすぐ隣にいても、紙にメモ書きをして直接会話するのはなるべく避けたと言われている。
特に女性は、恋愛に関して社会的な制約を厳しく受けた。
例えば、結婚後に夫を亡くした場合にも再婚は禁止されていた。
第9代王・成宗(ソンジョン)の時代に入ると、再婚した女性の子供たちは自らの過去を確認できない法律が作られた。
これは、女性が家門から完全に排除されることを意味する。社会的な強制力を盾に、女性たちの再婚を法律で全面的に禁止したのである。
このように男尊女卑が激しかった朝鮮王朝時代には、王宮や市井問わず女性たちの悲しい恋愛エピソードが数多く残っている。
まずはじめに紹介したいのは、トクチュンという女性の物語だ。
彼女は朝鮮王朝第7代王・世祖(セジョ)が王位に就く以前、身辺を世話していた使用人。世祖は自分とはまったく身分の異なるトクチュンを妾として囲った。
世祖が王位についた後、トクチュンは王の側室の身分につくことになる。
ただ、世祖はトクチュンを顧みることがなくなった。淋しさに打ちひしがれたトクチュンは、ある男性に恋をする。
その相手は、世祖の弟・臨瀛大君(イミョンテグン)の息子・亀城君(クソングン)だ。
亀城君は美男子で有名で、女性ならだれでも惹かれてしまう容姿の持ち主だったといわれている。
トクチュンは自分の想いをおさえきれず、恋心を手紙に綴り使いの者に託した。しかし、その事実が不運にも臨瀛大君にバレてしまうのだった。
臨瀛大君は世祖に殺されてしまうのではないかと怖れた。そのため、その事実を世祖本人に告白することにした。
世祖は事実を知り、手紙を届けた使用人を死刑にするように命じる。
また、トクチュンの側室の座をはく奪し、ただの宮中使用人に格下げしてしまった。
しかし、事態はそれだけでは収まらなかった。選りすぐりの儒教者たちの住処であった朝廷では、トクチュンを殺すべきだとの上奏が相次いだ。
世祖は当初、恋文ひとつで情が通じた相手を殺すことにためらいを見せたそうだが、王としての威厳や国のしきたりを守るため、トクチュンに絞首刑を言い渡すのだった。
しかも、トクチュンが死んだ後には宴会が開かれたとされる。そこで、亀城君は巫女たちにお祓いを受け、不浄な感情をすべて洗い流すことを強要されたと言われている。
このエピソードは、例え王や王族であろうと、儒教のしきたりから決して自由ではなかった証拠である。
次に兪甘同(ユカムドン)という女性のエピソードがある。
彼女はもともと両班(ヤンバン)の家系の出身だったが、両親に捨てられて妓生として生活していた。
妓生は卑しい身分だとされていたが、そこは元両班の娘というべきか。郡守という地方の有力役人チェ・ジュンギを射止め、それなりに幸せな人生を送ろうとしていた。身分転落の過去からから必死に掴んだ恋と地位だった。
そんな波乱の人生を送った兪甘同を、さらなる不幸が襲う。
ある日、夜道を歩いている時に、キム・ヨダルという強姦に襲われてしまうのだった。
何を狂ったのか、後日、このキム・ヨダルという男は兪甘同の家に堂々と尋ねていった。自分を襲った相手が家の前まで来ている。恐怖心を抱いた兪甘同は、仮病を装って実家にしばらく匿ってもらうことにした。
その事実を知らない夫チェ・ジュンギは、兪甘同が実家に帰ったことに激怒する。
朝鮮王朝では、嫁入りした女性が実家にかえることは家門の恥であるという価値観が深く根付いていたからだ。結局、チェ・ジュンギは兪甘同と離婚してしまうのだった。
不運に見舞われ続けた兪甘同の中で何かが壊れた。
一般的に、離縁された女性は自ら命を絶ってしまったり、仏門に入ることが多々あったが、兪甘同はまったく違う行動をする。
自分を苦しめた男性たちに反抗するように、自分の身分を偽り、約40人の貴族や役人と姦通するのであった。
噂を聞きつけた朝廷では、兪甘同を捕まえ姦通罪で処罰することになった。
兪甘同が宣告された罰は100叩きの刑。最終的に朝廷お抱えの妓生として生涯を終えたという記録が残っている。
ちなみに、朝鮮王朝では未婚の男女が婚姻前に体の関係を結んだ場合にも、姦通罪が適用されたという。女性の貞操は徹底的に守られなければならなかったのだ。
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