テレビ東京の韓流プレミアで放送中の『不滅の恋人』で、チュ・サンウクが演じているイ・ガンは歴史的には首陽大君(スヤンデグン)と呼ばれている。
この首陽大君は1455年に即位して7代王の世祖(セジョ)となる。はたしてどんな人物だったのだろうか。
世祖はハングルを創製した名君・世宗(セジョン)の二男だ。
長男は世宗を継いで1450年に5代王になった文宗(ムンジョン)である。しかし、わずか2年3カ月の在位で亡くなった。
後継者は文宗の息子の端宗(タンジョン)で、1452年に即位した。まだ11歳だった。文宗は亡くなるまで端宗のことを心配していて、しっかり守ってくれるように側近たちに頼んでいた。
その側近たちが最も警戒したのが世祖だった。彼は幼い王を補佐するという名目で、王権にことごとく干渉してきた。そして、ついに「陰謀の嫌疑あり」という理由で端宗の側近たちを次々に殺害。端宗に対しても強圧的な態度を取った。
24歳も上の叔父におどかされて、ついに端宗は世祖に王位を譲らざるをえなくなった。こうして世祖は1455年に7代王になった。しかし、世祖は多くの恨みを買った。
世宗時代からの忠臣の間では、端宗の復位を狙う動きが起こった。しかし、世祖はこの動きを力づくで抑えつけた。その際には、むごたらしい血が数多く流された。
端宗が生きていては安心できない、と感じた世祖は、端宗を流刑にしたうえで死薬を与えて殺した。
端宗はまだ16歳だった。史上最高の名君と称された世宗の二男が、これほどの非道を繰り返したのだ。本当に恥ずべきことだった。
結局、晩年の世祖に悲劇が起こった。長男が19歳で夭逝したのだ。ちなみに、世祖の後を継いで8代王になった二男も19歳の若さで亡くなっている。
「息子たちがことごとく早死にしている。祟(たた)りじゃ!」
当時の人たちは因果応報だと言った。
世祖の評判は今に至っても良くない。歴史的には完全に「悪役の王」である。
(文=康 熙奉/カン・ヒボン)
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