元の侵攻に抵抗しながら15年の歳月をかけて作られた「高麗八萬大蔵経」

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高麗(コリョ)は13世紀前半から、ジンギス・ハーンが建国したモンゴル帝国(のちの元)の侵攻に苦しめられた。元は1231年から6回にわたって高麗に侵攻。その度に高麗は抵抗し、各地で民兵や僧兵が抗戦した。

そんな時代に作られたのが「高麗八萬大蔵経」だ。木版から刷られた仏教経典である。

これは1236年に江華島(カンファド)に避難した第23代王・高宗(コジョン)が製作を指示し、15年の歳月をかけて作り上げられた8万枚以上に及ぶ版木。元に対抗し、民衆の心をひとつにするために作られたという。

現在は伽耶山の山海寺に保存されている高麗八萬大蔵経(写真=韓国観光公社)

元の服属国になった高麗の悲哀

ただ、その試みも空しく、1259年に高麗第24代王である元宗(ウォンジョン)が降伏、第25代から第30代までの王には「忠」の文字が使われるようにもなる。

元は1274年と1281年に日本侵攻を試みているが、高麗王朝はその前線基地としての役割を負わされていた。高麗は元が滅びる1368年まで、元の服属国として内政干渉され続けたのだった。

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