テレビ東京の韓流プレミアで放送されている『ホジュン~伝説の心医~』は、7月29日の第65話で、ホ・ジュン(演者キム・ジュヒョク)が大罪に問われることになった。それは、朝鮮王朝14代王・宣祖(ソンジョ)が亡くなったからだ。御医として責任を取らされることになったのだ。
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ドラマでは、政治闘争の末に、世子(セジャ)となっている光海君(クァンヘグン)が15代王に即位することになった。史実では、国王交替にはどんな事実が隠されていただろうか。
1608年、宣祖の病状が深刻になった時、彼には迷いがあった。世子を交代させて嫡子の永昌大君(ヨンチャンデグン)にしたいという希望を持っていたからだ。しかし、永昌大君はまだ2歳。たとえ王位に就いても権力を狙う高官同士が争うのが目に見えていた。
そこで、宣祖は最終的に世子の光海君への禅譲教書を下した。それなのに、その教書を受け取った領議政(ヨンイジョン/総理大臣に該当)の柳永慶(ユ・ヨンギョン)が、これを自宅に隠してしまった。彼としては永昌大君に王位を継いでほしかったので、細工しようとしたわけだ。
この事実が、世子を支持する一派が知るところとなり、王宮が騒動となった。その最中に宣祖がそのまま息を引き取った。
このため、王位継承の決定権は仁穆(インモク)王后に託されることになった。このタイミングを絶好の好機と捉えた柳永慶は、仁穆王后に対して「永昌大君を即位させて摂政をすること」を強力に勧めた。
仁穆王后としても、自分がお腹を痛めて産んだ永昌大君を国王にしたいのは当然のことだった。しかし、永昌大君はまだ言葉も満足に話せない。さらに、玉座にまともに座ることもできない。あまりに幼くてやっぱり無理だと判断し、教旨を下して光海君を即位させた。
もし仁穆王后が、永昌大君を即位させるという判断をしていたら、朝鮮王朝の歴史も大きく変わったに違いない。そういうウラ事情が当時はあったのだ。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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