朝鮮王朝で皇太子にあたる世子(セジャ)は、10歳前後で結婚するのが通例だった。妻は世子嬪(セジャビン)と呼ばれるが、夫婦の年齢はほぼ一緒だった。
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世子嬪はいずれ王妃になる身分なのだが、夫が不幸に見舞われたら、世子嬪も辛い人生が待っていた。そんな事態になってしまった世子嬪の双璧と言えば誰であろうか。
1人目は恵慶宮(ヘギョングン)である。
彼女は、21代王・英祖(ヨンジョ)の息子である思悼(サド)世子と結婚した。初めは、2人の間には穏やかな日々が続いたかのように思われた。しかし、次第に険悪な空気が漂い、悲哀と不安の影が忍び寄る運命となった。
思悼世子が平常心を失って酒乱と暴力を繰り返したことが、その穏やかさを切り裂く原因であった。ついに英祖の厳粛な決断により、思悼(サド)世子は米びつに閉じ込められ、餓死という無念の最期を迎えた。
これは1762年に起こった出来事であり、恵慶宮は世子嬪としての高貴な身分を失う苦難に直面した。しかし、幸いにも息子が22代王・正祖(チョンジョ)として即位し、「国王の母」としての尊厳を再び取り戻すことができた。
傑作『イ・サン』においては、個性派女優のキョン・ミリが恵慶宮の役を演じていた。
2人目の世子嬪は後の趙(チョ)大妃である。彼女は23代王・純祖(スンジョ)の長男だった孝明(ヒョミョン) 世子の妻だった。時代劇『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』ではチョ・ヨニが趙大妃を演じている。
夫であった孝明世子は幼少時代から頭脳明晰で、国王として即位したら絶対に名君になるはずだと期待されていた。ところが、21歳のときに急死してしまい、趙大妃も世子嬪のときは本当に苦労した。
それでも、息子が24代王・憲宗(ホンジョン)として即位し、彼女も栄光の大妃になることができた。最初は姑であった純元(スヌォン)王后に頭が上がらなかったが、その姑が1857年に亡くなると、趙大妃は王族女性の最長老なり、王宮で大いに権力をふるった。
文=大地 康
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