『善徳女王』で活躍している花郎はどのようにして百済に対抗したか

このエントリーをはてなブックマークに追加

テレビ東京の韓流プレミアで放送されている『善徳女王』の舞台となっている新羅(シルラ)は、朝鮮半島の北部を領土にした高句麗(コグリョ)と西南部を支配した百済(ペクチェ)と領土争いをして、三国統一を果たした国である。

【関連】多くのドラマに出演した人気女優イ・ヨウォンの女優人生とは?

後に新羅の第27代王となった善徳女王ことトンマンをドラマで演じているのがイ・ヨウォンで、トンマンの少女時代をナム・ジヒョンが務めている。

9月12日に放送された第8話では、トンマンが花郎の部下である郎徒(ナンド)となりキム・ユシン(オム・テウン扮)のもとで訓練に励む姿が描かれていた。ちなみに、キム・ユシンの少年時代はイ・ヒョヌが務めている。

韓国時代劇には、『善徳女王』と同じく新羅を舞台としたドラマがある。それが『花郎(ファラン) 希望の勇者たち』だ。

このドラマが描いている550年代以降のことを解説しよう。

三国時代の地図
三国時代での新羅と百済の関係はどうだったのか

新羅と百済の関係

その頃は新羅と百済が仲良くなったり険悪になったりしていたが、お互いに協調したほうが有利に運ぶので、両国は和議を結ぼうと努力していたのだ。

そうした経緯は『花郎(ファラン) 希望の勇者たち』でも描かれているが、ドラマに出てくる昌王子というのは、どういう人物なのだろうか。

彼は百済の第26代王の聖王の息子であった(聖王は日本に仏教を伝えた国王であり、日本では聖明王として知られる)。

聖王が554年に世を去ったので、昌王子は第27代王・威徳王(ウィドクワン)として即位した。彼は百済の発展に尽くし、特に中国と良好な関係を築くために尽力した。

亡くなったのは598年である。つまり、彼は44年間も百済の王位を守り続けたのである。

一方、『善徳女王』でイ・スンジェが扮している新羅の24代王・真興王(チヌンワン)が花郎を創設したと言われている。

この真興王は、『善徳女王』の主人公であるトンマンの曾祖父だ。

彼は540年に即位して576年に世を去っている。つまり、550年代半ばから570年代半ばまでは、百済の威徳王と新羅の真興王が直接対峙していたのである。

『善徳女王』のドラマの中ではあまり描かれなかったが、真興王も国王として大きな成果を挙げている。彼の孫である善徳女王の活躍をドラマでしっかり堪能したい。

文=大地 康

【関連】『善徳女王』ミシル役の女優コ・ヒョンジョンの“美しい”すっぴん姿【PHOTO】

【関連】女優パク・ウンビンの清純な美貌&ファン想いが“感動的すぎる”【PHOTO】

【関連】『魅惑の人』シン・セギョン、酔っちゃいそうな最新カットを公開【PHOTO】

前へ

1 / 1

次へ

関連記事


RANKINGアクセスランキング

写真


注目記事