テレビ東京で放送されている韓流プレミアは、『宮廷女官チャングムの誓い』が9月2日で終わり、3日からはイ・ヨウォンが主演した『善徳女王』(全62話)が始まった。
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このドラマは古代の新羅(シルラ)を舞台にしているが、女王を主役にしている点が斬新だった。韓国時代劇が最も多く取り上げている朝鮮王朝は男尊女卑思想がとても強すぎて、女王が誕生する気配がまったくなかった。しかし、古代なら事情が違う。特に新羅には3人の女王が生まれており、その一番目が善徳(ソンドク)女王であった。
歴史書『三国史記』は、善徳女王について次のように記述している。
「善徳女王の名は徳曼(トンマン)で、真平王(チンピョンワン)の長女だ。徳曼は生まれつき情が深く明敏だった。国王が亡くなって子供がいなかったので、人々に推挙されて国王になった」
結局、善徳女王は632年に即位して善政を行った後、647年に世を去っている。
新羅で2人目の女王は善徳女王の後を継いだ真徳(チンドク)女王だ。647年に即位しており、名は勝曼(スンマン)と言った。「背丈は七尺もあって手が膝の下まで届いた」と言われているが、あまりに誇張された伝説を持っていた。
新羅は649年に初めて中国の衣冠を用いている。唐の協力を得るために衣冠を中国式にしたのだ。真徳女王が亡くなったのは654年。7年だけの在位であったが、唐と連携をとり、三国統一の基盤をつくっている。
3人目の女王は真聖(チンソン)女王で、在位は887年から897年までだ。真聖女王の名は曼(マン)である。『三国史記』の記述によると、真聖女王は888年、美少年数名を宮中に呼んで淫乱したという。素行にかなり問題があった女王と言われている。
897年、真聖女王は「最近、民が困窮して盗賊も増えている。私の不徳のいたすところで、退位して王位を賢人に譲りたい」と語り、甥に王位を譲った。引き際をしっかりわきまえていたようだ。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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