【究極セレクション】「朝鮮王朝のレジェンド美女」として選んだ5人に納得できる?

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今のようにビジュアルで即座に見られる時代ではなかったので、「朝鮮王朝のレジェンド美女」と言っても、何を基準に選べばいいのか、はっきりしないところもある。とはいえ、今回は当時の人々が明確に残した記録によって「美女」を判定してみよう。張禧嬪(チャン・ヒビン)は「絶世の美女」としてよく知られているが、その他の4人は果たしてどんな女性なのか。

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敬恵王女[1436~1473年](5代王・文宗の娘)

『王女の男』ではホン・スヒョンが敬恵公主に扮した

27人いた国王の娘となれば相当な人数にのぼるのだが、歴史的にも「朝鮮王朝で一番美しかった王女」と記録されているのが敬恵(キョンヘ)王女だ。

彼女の人生は波乱万丈で、弟の端宗(タンジョン)が叔父の世祖(セジョ)によって王位を奪われて死罪になった後、敬恵王女も奴婢(ぬひ)にされた。後に罪を許されて1473年に38歳で亡くなった。時代劇『王女の男』では、ホン・スヒョンが敬恵王女を演じた。

黄真伊[生没年は不明](詩人)

時代劇『ファン・ジニ』でハ・ジウォンがヒロインを演じた(写真=SPORTS KOREA)

黄真伊(ファン・ジニ)は10代から「あまりに美しかった」と言われた。なにしろ、恋い焦がれた青年が死んでしまうという騒動まで起こっていた。やむなく妓生(キセン)となったが、芸術的な詩歌をたくさん創作して、15世紀前半の朝鮮王朝で名声を博した。

その作品は韓国の教科書に掲載されているほど有名で、間違いなく美貌と才能に恵まれた女性であった。時代劇『ファン・ジニ』ではハ・ジウォンが演じていた。

張禧嬪[1659年~1701年](19代王・粛宗の正室および側室)

『トンイ』ではイ・ソヨンが張禧嬪を演じた

女性の容姿に触れないことで知られる正史『朝鮮王朝実録』でも張禧嬪は別格の扱いであり、史官(歴史を書き記す官僚)が何度も容姿を絶賛していた。好色だった粛宗(スクチョン)が見逃すはずもなく、彼は仁顕(イニョン)王后を廃妃にしてまで側室の張禧嬪の王妃昇格にこだわった。

しかし、せっかく王妃になった後に再び側室に降格し、さらに死罪に処された。傲慢な性格が身を滅ぼす結果を生んでしまったのだ。『トンイ』ではイ・ソヨンが演じた。

淑嬪・崔氏[1670年~1718年](19代王・粛宗の側室)

トンイを演じたハン・ヒョジュ

『トンイ』でハン・ヒョジュが演じる前は、淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)も地味な存在だったが、ドラマの成功で一躍、誰もが知る人気者になった。

張禧嬪に負けないほどの美貌を誇ったと言われており、だからこそ身分が低くとも粛宗の側室になれたのであった。しかも、後には英祖(ヨンジョ)の実母になるという栄誉を受けた。厳しい身分制度を乗り越えて「美貌でトップ女性になった」というシンデレラ神話を実現させている。

宜嬪・成氏[1753年~1786年](22代王・正祖の側室)

『赤い袖先』でイ・セヨンはソン・ドギムを演じた(NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)

本名は成徳任(ソン・ドギム)であり、9歳のときに王宮に入って正祖(チョンジョ)に見初められた。しかし、彼からの求愛を何度も断り、宮女としてプライドを持って生きた。

最後は正祖の子供を産み、側室の宜嬪・成氏(ウィビン・ソンシ)となったが、1786年に33歳で亡くなった。短命だったが、「自立した美しい人生」を見せてくれた素敵な女性でもあった。『赤い袖先』でイ・セヨンが宜嬪・成氏を演じた。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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