【深発見58】幻の王国・伽耶は海洋文化と北方文化の接点だった!?

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伽耶(かや)の始祖・金首露(キム・スロ)王の王陵も亀旨峰のすぐ近くにある。赤い門をくぐると、その向こうにきれいに土盛りされた首露王陵がある。

金首露王陵は、金官伽倻国の王の墓であると同時に、金海金氏の始祖の墓でもある。

歴史の謎に包まれた国・伽耶と始祖・金首露(キム・スロ)のミステリー

韓国では、姓とともに一族の発祥の地である本貫(ポングァン)が重視されるが、金海金氏はその中で最大勢力であり、金大中(キム・デジュン)元大統領、金鍾泌(キム・ジョンピル)元首相らも金海金氏である。

首露王陵(写真出典=韓国観光公社)

さらに金首露王陵の近くには、首露王妃陵、いわゆる許后陵(ホフヌン)がある。王妃の許氏は、インドのアユタ国から海を渡ってきたことになっている。

金首露王陵から海は見えないが、すぐ近くには海が広がっている。韓国の都のほとんどは、山に囲まれた所に位置しているが、金官伽倻国は海を背景に発展してきた。

金海の隣の昌原(チャンウォン)にある茶戸里(タホリ)遺跡には、木をくり抜いた木棺墓が発掘されている。こうした墓は、船をイメージしているという説がある。

その一方で、亀旨峰の近くにある大成洞(テソンドン)遺跡からは、北方の釜であるオルドス式銅鍑や留め金である青銅虎形帯鉤など、北方文化の影響を強く受けた遺物も出土している。この地域は、北方文化と海からの南方文化が融合し、混在しているわけだ。

アフリカで誕生したとされる人類の祖先は、ある者は北に進み、弱い太陽光でも生きていけるように白人となり、ある者は赤道付近を移動していったという。

その経路は多岐にわたるが、東アジアはそれらが出会った所であり、朝鮮半島南西部から九州にかけては、有力な結合点と言えるのではないか。

ところで、後年再び金海を訪れた時、この地域には、日本の植民地時代に発掘された遺跡が多いことに気が付いた。

伽耶は「日本書紀」に記されている「任那日本府」を設置した所とされている。植民地支配を正当化するため、日本の学者により「任那日本府」を裏付ける発掘が盛んに行われたが、そうしたものは見つからなかったようだ。

今日では、朝鮮半島を支配する機関としての「任那日本府」の存在には否定的な見方が多い。その一方で、伽倻の地域と古代の日本が、盛んに交流していたことは確かだ。

文=大島 裕史

大島 裕史 プロフィール
1961年東京都生まれ。明治大学政治経済学部卒業。出版社勤務を経て、1993年~1994年、ソウルの延世大学韓国語学堂に留学。同校全課程修了後、日本に帰国し、文筆業に。『日韓キックオフ伝説』(実業之日本社、のちに集英社文庫)で1996年度ミズノスポーツライター賞受賞。その他の著書に、『2002年韓国への旅』(NHK出版)、『誰かについしゃべりたくなる日韓なるほど雑学の本』(幻冬舎文庫)、『コリアンスポーツ「克日」戦争』(新潮社)など。

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